テラーノベル
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#成り上がり
#死に戻り
#ハッピーエンド
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その日の午後、ロヴィーサが小さく手を振った。
「来て」
案内された先は、しずくシェルターの奥のさらに奥だった。普段は物置に見える扉の前で、グルナラが古びた鍵を差し込む。金属がこすれる重い音がして、ひんやりした空気が隙間から流れ出た。
「本当に入るの?」
デシアが小声で言う。
「入るために来たんでしょ」
ロヴィーサは平然としている。
狭い階段を下りるたび、音が変わっていった。上では誰かの話し声や食器の触れ合う音がしていたのに、地下へ近づくにつれて、すべてが遠い水の向こうみたいに鈍くなる。
最後の段を降りた先に、小さな部屋があった。
壁は石で、湿気を吸って暗く光っている。部屋の中央に、巨大な時計が立っていた。柱時計にしては大きすぎる。むしろ古い井戸に歯車をつけたみたいな、重く深い気配を持っている。
「これが……」
サベリオの喉が乾いた。
「深い時計」
ロヴィーサがうなずく。
「昔の記録だと、満月の前後だけ遅れて動くことがあるらしい」
時計の振り子は止まっているように見えた。だが部屋に立った瞬間から、耳ではなく胸の奥で何かが鳴っている。低い、長い響き。音というより圧に近い。
デシアは吸い寄せられるように近づいた。
「……これだ」
録音機を胸元から外し、そっと構える。
「最初に録った音」
サベリオは反射的に手を伸ばしかけたが、止めた。彼女の選ぶことを奪わないと決めたばかりだ。
「気をつけて」
それだけ言うと、デシアはうなずいた。
録音機の赤いランプが点く。
次の瞬間だった。
ごう、と部屋の奥から低音が持ち上がる。実際に鳴ったのか、サベリオの身体だけがそう感じたのか、自分でもわからない。ただ、その響きが胸を貫いた瞬間、橋の上の雨の匂いが一気によみがえった。
冷たい欄干。落ちる感覚。川の黒さ。感電の白い閃き。頭を打った鈍い痛み。何度も何度も終わった夜の気配が、ひとつに重なって襲ってくる。
「サベリオ?」
デシアの声が遠い。
足元が揺れた。部屋の石床が急に傾いたように感じる。息がうまく吸えず、胸の中で鐘だけが鳴り続けた。
「だめ、顔色」
誰かが近づく。たぶんロヴィーサだ。けれどサベリオの視界は急速に暗く狭まっていく。
時計の表面に、自分のゆがんだ姿が映った。
そこに立っていたのは今の自分だけではない気がした。橋の上で血を流した顔、川の中へ消えた背中、濡れた配線をつかんだ手。何人もの自分が重なって、ひとつの影になっている。
「サベリオ!」
デシアの声が急に近くなる。録音機が床へ落ちる乾いた音。次いで肩をつかまれた感触。
それでも身体はもう言うことをきかなかった。
膝から崩れ落ちる直前、サベリオは時計の奥からもう一度、深い低音を聞いた気がした。まるで井戸の底で鐘を鳴らしたみたいな、逃げ場のない響きだった。
そして視界が落ちた。