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丸一日何も食べていなかった私は空腹で目が覚めた。恥ずかしさに顔を伏せたくなるほどお腹が鳴り、そんな事をしても止まる訳などないのに、咄嗟に両手でお腹を押さえる。
体の大きなレイナードではきっと私よりも飢えているはず。そう思った私は、隣で眠っているはずの彼の方へと体を向けた。
「……シド?」
だけど視界の先には誰も居なかった。ただ、ガランと——白いシーツが目の前に広がっている。
上半身を起こし、『何処に居るの?』と周囲を見回す。彼が寝ていたはずの場所に手を置いてみたが、そこは既にもう冷たくなっていて、今さっき抜け出たといった感じではなかった。
体に薄手の掛布をざっくりと体に巻き、ベッドから出る。早足に浴室へと向かい、中を覗いたが、そこにもレイナードは居ない。客室内を全て確認し、私は顔をしかめた。
「……嫌われたのかしら。あんな事を、してしまったし」
掛布が落ちぬようにと胸元に当てた手に力が入る。思い当たる事があまりに多過ぎて、私は泣きそうになってきた。
「どこに行ったのかしら……シドに、謝らないと……」
寝室に戻り、ベッドに腰掛けて息を吐く。その時、窓の近くにあるソファーの上に置かれた女性物の衣類に気が付き、私は驚いた。
(誰が用意したのかしら……)
そういえば、あれだけ散々淫猥な時をすごした割には体もすっきりしている。まるで誰かが拭いてくれたみたいだ。『シドであればいいな』と私は思った。シド以外になど、恥ずかし過ぎて死んでしまう。
だが、体の不快感は無くても髪は別だった。このままでは此処からは出られない。急いで他の場所も探したいが、まずはシャワーを浴びようと決めた私は、誰かが用意して置いてくれた着替えを腕に抱えて浴室に戻って行った。
ロシェルが起きる三時間程前。
俺は空腹で目が覚めた。丸一日近く何も食べず、痴態に耽る日が来るなど今まで一度も想像した事がなかった。
体を起こし、そっと隣を見る。今度は、朝とは違い、慌てたりなどしなかった。きちんと目覚めたその瞬間から『ロシェルが隣に居るのだ』と自覚していた。
昨晩は、魔法の拘束を解く為だったとはいえ、なし崩し的に不適切な行為をおこなってしまった。ロシェルの与えてくれる快楽に溺れ、浸り、貪り尽くした。この先どうしていいのかわからない……。右も左も真っ白で、行くべき先が全く見付からないくらいにだだっ広い雪原にいきなり放り出されて、『自力で帰れ』と言われたような気分だった。
「……」
そっと眠るロシェルの美しい頰を撫でてみる。それだけで心がざわめき、ギュッと心が掴まれた感じがした。
(これはいったい、何という感情なんだ?)
羽根でそっと撫でるように触れながら必死に答えを探すが、辿り着けない。この幻想の雪原には、四方に見えない大きな壁までもあるみたいだ。
音を立てぬように気を付けながらベッドから出ると、まずは脱いだ服で散らかし放題になっている部屋を整えた後、浴室からお湯で濡らしたタオルを持って来てロシェルが起きるのを覚悟で体を拭いたが、彼女は目覚めなかった。無理も無い。食事をする事もなくあれだけの行為に没頭したのだから。
綺麗になったロシェルの裸体に布団を掛けて優しく頭を撫でる。浴室でシャワーを浴びた後、ロシェルの着替えを一式、呼鈴で来てもらったエレーナに用意してもらった。
全てを察したような笑顔をする彼女からそれを受け取り、気まずい気持ちのまま寝室のソファーに置く。もう一度ロシェルの方を見たが、起きる気配が全く無かったので、俺は一人で客室を出て行った。
「——で、僕の所へ来たと」
早朝、カイルの執務室。
部屋の主であるカイルとレイナードが向かい合ってソファーに座っている。膝に肘を置き、レイナードが組んだ手を口元に当てて俯いている。まともにカイルの顔を見る勇気など流石に無かった。
「すみません。アルを探したのですが、どこにもいなかったので……つい」
客間を出たレイナードは、まずはアルに現状を相談したいと思い、真っ先に神殿内を探した。だが、彼は何処にもおらず、仕方なく二番目に話しやすいカイルの元につい来てしまった。煮詰まったままの頭では、これが常識的に考えうる限り最も最悪な部類の悪手であると気が付く事など出来なかったのだ。
「アルには仕事を頼んでいてね。今は神殿には居ないんだ。僕としては君に相談してからにしたかったんだけど、あの子が乗り気でね。『そんな間も惜しい』と直ぐに旅立って行ったよ」
サキュロスが客間に押し掛けて来た晩。『カイルに呼ばれた』と言い、アルはいそいそと出かけて行った。あの日にきっと、カイルに頼み事をされた嬉しさで何も考えないまま即引き受けたのだろう。その姿が安易に想像でき、レイナードは少し笑みをこぼした。
「……しかし、驚いたな。ロシェルの父である僕に事の次第を話すなんて。何というか……勇者だね、レイナードは。僕がイレイラに対してみたくロシェルにまで執愛する親だったら、今頃君は死んでいるよ?」
何とも言い難い微妙な表情で、カイルは話を聞くためにと正していた姿勢を崩し、ソファーの背もたれに寄り掛かった。
かなり大雑把なものではあったが、色々と推測が可能な程度には情報の含まれたレイナードの話を聞き、カイルは何とも言えぬ気持ちになった。『娘に手を出したのか!』といったものではなく、彼に対しての『意外に難儀な子だな』といった類の思いだった。
『なぜ彼はここまで寛容なのか!』とカイルが感じる程に色々な件に対して達観し、レイナードは即受け入れてくれた。それが何故、恋愛ごとになった途端驚く程に頭が硬く、柔軟性が皆無で目の前の答えに気が付けないのかと不思議でならない。
「すみません。死んで詫びようと思ったのですが、『無責任だ』とロシェルに責められまして、断念しました」
「まぁ当然だよね。僕もそう思うよ。嫁に貰ってくれるのが、一番だと思うけど」
カイルまでそれを言うのか?とレイナードは思い、眉間のシワが深くなった。険しい表情がより険しくなったがカイルは言葉を続ける。
「僕の頼みを聞き、ロシェルの『使い魔』であろうとしてくれるレイナードの気持ちには深く感謝している。でもね、言葉に囚われては欲しくないかな」
「囚われてなどはいません。ただ、主人に対し忠義を尽くしたいだけです」
「ロシェルは誰よりも守りたい対象?」
「もちろんです」
「彼女が他の誰かと結婚したらどうする?それでも一番側で、あの子を守れると誓えるのかい?」
カイルの言葉に、レイナードが声を詰まらせた。
ロシェルが誰かに嫁ぐ。……前にも聞いていた事だが、あの時のように『こんな幼子ですら婚姻の話があるのか』と、第三者的視点ではもうその事柄を考えられない。心臓にナイフを突き刺され、グチャグチャにえぐられるような感覚を抱き、レイナードは顔をしかめた。
「……け、結婚後は……その家の者が守るべきかと」
「君の忠義はその程度なんだ」
「いいえ!決してそんな訳では——」
「じゃあ」と、カイルはレイナードの言葉を遮った。
「何故婚姻先にまではついて行きたくはないんだい?他者の横であの子が微笑み、ソイツに抱かれ、子を宿す姿を見たくないんじゃないの?違う?」
想像するだけでゾッとする具体的な話に、レイナードは顔を覆った。
そんなもの見たくない、気持ち悪い、いっそ相手を殺したくなる——……と、忠義の範疇を明らかに超えた感情が、腹の底でグツグツと煮立つ感じがする。
「家族が、嫁が欲しいんだろう?なら、ロシェルでは何故ダメなんだい?」
「俺は女性に好かれない、あんな素晴らしい女性が俺となど……」
「それを言い始めたら誰に対しても『俺では不釣り合いだ』になるね。むしろ、誰かを選ぶ事は失礼じゃない?選ばれた相手は『お前などたいした女じゃない』って言われたようなもんだ」
自己矛盾を指摘され、レイナードが顔を覆っていた手を下げて、目を丸く開きながらカイルを見た。
言われるまで気が付かなかった事に対し恥ずかしくなる。まったくもってその通りだ。
(嫁が欲しいという欲求と、自分は醜男だという事実は同居出来ない。どちらかの考えを無理にでも捨てねば、先へなど進めないのか)
「ロシェルの事は、どう思って見ているんだい?」
「守りたい人です。誰よりも、一番に」
「他には?」
「他……ですか?」
ロシェルの父であるカイルに問われ、言い辛さにレイナードは躊躇している。
カイルはそんな彼に対し、『逃げるな答えろ』と言いたげな目で、ジッとレイナードを見詰めた。
「……可愛い人です。素直で、心根が真っ直ぐで、傍に居るととても温かい気持ちになります」
娘を絶賛され、カイルは誇らしげに微笑んだ。こんな風に娘を想ってくれる彼になら、ロシェルを託してもいい。むしろ、彼以外は考えられないとさえ思える。
「つまりは、『好き』なんだね!」
「何というか、主人として素晴らしい方だと思います」
「……」
(明らかに好きなのに、結局はそこに戻るのか!ここまできて⁈)
ヤキモキした気分になり、カイルが黒く美しい前髪をグシャッとかきあげた。『好きだ』という気持ちに『忠義』という言葉のパズルがスッポリとはまり込み、糊付けまでされているみたいに外せない。
(無理だ……コレ)
カイルは無力感を感じ、うな垂れた。
「……じゃあ、ロシェルとは結婚はしてくれないの?ここで君を逃したら、あの子はこの先絶対に嫁になどいかないよ。レイナードが他の誰の事も選べない様に邪魔するくらい心を病んでしまう可能性だってあるね」
「まさか!……まさ、か……そんな……」
言った側から自信が無くなる。先程までの、ロシェルが愛しい人にしか見せないであろう姿を思い出し、そう言い切る事に対して失礼な気がしてきたのだ。
真っ直ぐに感情をぶつけながら、『何処にも行かないで』と懇願してきたロシェルの顔が思い浮かび心にのしかかった。
「本人が望み、その両親も歓迎している。それなのに『嫁になどいらない』って頑なに拒否されるのは、正直気分が悪いなぁ」
「いらないのではないです!俺が相応しくないだけで」
「終戦の英雄である君が?黒竜の契約者でもある君が、ロシェルに相応しくないだって?過小評価も行き過ぎると嫌味だよ」
カイルはそう言うと、眉間にしわを寄せ嫌悪感を示した。
「君程ロシェルに相応しい者はいないよ。勇敢で寛容で、真っ直ぐで。何よりも娘を大事に想っている。『夫』として忠義を示す道を歩いて貰えると、僕は嬉しいな」
「……『夫』としての、忠義ですか?」
レイナードはカイルの言葉で、やっと頑なな考えにヒビが入るのを感じた。
「抱き合える時点で、ロシェルは君を醜いだなんて微塵も思っていない。というか、この世界の誰も君をそういうふうには見ていないよ。むしろめちゃくちゃ羨ましい!」
「……うらやま……しい?」
「当然だろう?その筋肉、漢らしい顔立ち、高身長と底なしの体力。君が『カルサール』でどういった扱いをされてきたのかは知らないけど、レイナード程のレベルで『醜男』扱いって、『国民皆彫刻級の美男美女の世界なのか⁈』って思うよ」
イレイラのようなテンションで語られ、レイナードは驚いた。夫婦は似ると言うが、本当にその通りだ。
「君はカッコイイよ。イレイラが居なかったら、僕だってサキュロスの事を馬鹿には出来なかったかもね。『是非嫁に』って追い回していたかもよ?」
カイルにニッと子供っぽく笑われ、レイナードは微笑んだ。
嘘や気を使って言われた感じのない言葉が、スッと心に沁みる。初めてテラスに呼ばれた茶会でイレイラ達に言われた言葉ですら、今なら正面から受け止められそうな気もした。
「……カイル。これから少し、街まで出掛けて来てもいいですか?」
「……心が決まったのかい?」
スッとカイルが目を細める。だが、口元は笑っていて、なんだか嬉しそうだ。
「そんなところです」
「いいよ、好きにするといい。レイナード、君は自由だ。自分が一番後悔しないと思う道を進むといい。友人として、それを望むよ」