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#成り上がり
#死に戻り
#ハッピーエンド
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ラゴーナの朝は、まだ少し冷たい。山あいに残った夜の湿り気が、木の手すりや石畳に薄く張りついていた。
しずくシェルターの軒下で、サベリオは脚立に乗り、古い雨どいの詰まりを取り除いていた。昨夜の細い雨で流れ込んだ葉が、金具のところで団子のように固まっている。指先で崩して落とすたび、下で受けていたミゲロが「お、今年も春が来たな」と笑った。
「春の来かた、地味すぎない?」
「地味なところが大事なんだよ。雨どいが詰まると、床までだめになる」
そう言って顔を上げた時、石畳の向こうを、録音機を抱えた女の子が走り抜けた。肩までの髪が跳ね、薄い外套の裾に朝の光が引っかかる。彼女はシェルターの入口でぴたりと止まり、目を閉じた。
不思議なくらい静かだった。
遠くで荷車の車輪が鳴る。どこかの家で窓が開く。屋根の先から、昨夜の名残の一滴が落ちる。女の子は、それらを順番に拾うように録音機を向けていく。
「誰?」
サベリオが小声で聞くと、ミゲロは当たり前みたいに言った。
「デシア。祭りの音を集めてるんだろ。知らなかったのか」
名前だけは聞いたことがあった。町の音を集めて作品にする、少し変わった子。けれど、こんなふうに本当に音を追いかけているところを見るのは初めてだった。
やがてデシアは、誰も使っていない地下階段の前にしゃがみこんだ。重い扉の隙間に録音機を差し入れ、息を止める。その横顔は、宝箱の鍵穴をのぞく子どもみたいに真剣だった。
しばらくして彼女が戻ってくると、サベリオはつい声をかけてしまった。
「何の音が録れたの」
デシアは少しだけ目を丸くし、それから小さく笑った。
「春の最初の音」
「鳥とか、風とか?」
「ちがう。もっと深いところ」
彼女はそう言って、録音機の再生ボタンを押した。
低い。暗い。けれど不思議と耳を離せない音だった。井戸の底で遠く鐘が揺れたみたいな、古くて長い響き。
「地下の時計の音なの」
デシアは秘密を打ち明けるようにささやいた。
「春は、あれから始まる気がする」
サベリオは返事を忘れた。地下にそんな時計があることも知らなかったし、その音をきれいだと思う自分にも驚いた。
シェルターの中では、満月の鐘まつりの準備がもう始まっている。机を運ぶ音、笑い声、紙のこすれる音。その全部の下で、さっきの低い響きがまだ胸の奥に残っていた。
春は、目に見えるものだけで来るんじゃないのかもしれない。