テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
#成り上がり
#死に戻り
#ハッピーエンド
114
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
七度目の本番前夜は、信じたくなるほど整っていた。
橋の床板はきしみを抑え、導線は紙の上でも現場でも滑らかにつながる。雨天時の切り替えは全員が頭に入れ、灯りも音響も屋台も、前の周回より迷いが少ない。閉鎖通知への意見書も出した。年配者たちの署名は増え、シェルターの存続に光が差し始めている。
ここまで来れば、今度こそ行ける。
誰もがそう思っていた。
祭り当日、橋の入口では提灯が揺れ、最初の音が夜へ落ちる。観客は以前より落ち着いて動き、シェルターの中へ流れ込む足取りも軽い。ジャスパートの灯りが外と中をつなぎ、サディオの仕掛けが雨を待ちながら息を潜めている。
そしてデシアの音語りが始まった。
町の朝を開ける窓の音。市場の桶の水音。子どもたちの笑い声。雨だれ。古い記録に残された、避難の夜の足音。若者たちの叫び。全部が順番に重なり、シェルターの天井の下で一つの川みたいに流れていく。
観客の顔が変わっていくのが分かった。笑っていた人が黙り、黙っていた人が目を潤ませる。モルリは鼻をすすり、ヌバーは珍しく口を閉じている。
夜半、強い雨が降り出した。
それでももう混乱はない。トゥランの声で人が動き、ホレの表どおりに屋台が引かれ、橋の鐘はサディオの装置で安全に中継される。しずくの音が樋と瓶を伝い、ジャスパートの灯りが天井を星空みたいに染めた。
これまででいちばん、美しい夜だった。
終演後、拍手がしばらく止まらなかった。
アルヴェはとうとう笑い、トゥランまで肩の力を抜く。グルナラは隣のロヴィーサと顔を見合わせて静かにうなずき、パルテナは涙でぐしゃぐしゃになりながら来場者へ頭を下げている。
サベリオも、少しだけ泣きそうだった。
なのに、胸の奥の冷たさだけが消えない。
橋のたもとで機材を片づけていた時、ミゲロがふと口にした。
「そういえば、デシアのあれ、送れたのか?」
サベリオの手が止まる。
振り向くと、デシアは少し離れた場所で選考用の封筒を抱えたまま立っていた。雨はもう弱い。けれど彼女の肩だけが、まだ豪雨の中にあるみたいに見えた。
「……まだ」
その答えは、かすれていた。
「今夜が終わってからでも、間に合うかと思って」
「思って、じゃないだろ」
思わず強い声が出る。
デシアはびくりとしたが、目をそらさなかった。
「皆がこんな時に、私だけ先に行く準備をしてるみたいで嫌だった」
「だから置いたままにしたの?」
「置いたんじゃない」
「同じだよ!」
言った瞬間、自分の声の荒さにサベリオがいちばん驚いた。
デシアの目に、静かな怒りと悲しみが同時に浮かぶ。
「同じじゃない。私は逃げたくなかっただけ」
「そのせいで、また誰か一人が我慢する形になる!」
そこまで言って、サベリオは息をのんだ。
また、だ。
事故を消しても、夜は戻る。誰か一人の犠牲で成り立つ成功しか残っていなければ、零時十三分は朝を拒む。
今のまさにこれだった。
デシアが夢を後回しにすることで、町の夜だけがきれいに見えている。
そんな成功を、この力は許さない。
デシアも気づいたように、唇を噛んだ。
「……ごめん」
謝ってほしいわけじゃない。
そう言いたいのに、うまく言葉にならない。
橋のほうから、鐘の準備を知らせる音が一つ鳴った。零時十三分まで、もうほとんど時間がない。
サベリオはデシアの抱えた封筒を見つめる。薄い紙の中に、彼女が外へ出るための入口が入っている。町を捨てるためではなく、町を持っていくための入口が。
なのに彼女は、それを自分で閉じようとしていた。
「だめだ」
サベリオははっきり言う。
「誰か一人が黙って削れる形じゃ、進めない」
デシアの目が揺れる。
「今夜がきれいでも、そんなのだめだ」
その言葉はデシアに向けたものでもあり、自分へ向けたものでもあった。自分の願いを黙らせてきた過去に向けた言葉でもある。
遠くで鐘が鳴り始める。
低い響きが夜へひろがり、しずくシェルターの地下にある深い時計が呼応する気配がした。足元の板ではなく、胸の内側が先に冷えていく。
デシアが一歩近づく。
「サベリオ」
その声を最後まで聞く前に、視界がにじんだ。
世界はまだ壊れていない。誰も落ちていない。誰も怪我をしていない。けれど夜だけが、静かに首を横へ振る。
零時十三分。
鐘の音が満月の下でふくらみ、次の瞬間、雨の匂いも橋の灯りも、拍手の余熱も全部が白く引き伸ばされた。
また戻る。
けれど今度は分かっている。
誰か一人が夢を我慢して成り立つ春は、春じゃない。
デシアの未来も、この町の未来も、サベリオ自身の願いも、同じ夜に並べて立たせなければならない。
それができなければ、何度でも満月はやり直しを命じる。
白い眩しさの中で、サベリオは最後にはっきり思った。
次こそ、全員の春を連れていく。