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笑いはしばらく続いた。
凪は何も言わなかった。
蒼の「俺の犬だもんな」という言葉が、まだ耳の奥に残っている。
誰かがグラスを鳴らす。
「まあまあ」
軽い声。
「いじめんなって」
でも止める気はない言い方だった。
ただ面白がっているだけ。
蒼は椅子に背を預けて、凪を見ていた。
観察するみたいに。
「で」
誰かが言う。
「どうすんの、凪」
「まだ蒼の後ろついてく?」
笑い。
凪は答えない。
視線だけがテーブルの上をさまよっている。
その時。
隣で、沙希がグラスを持ち上げた。
氷が軽く鳴る。
カラン。
「ねえ」
静かな声だった。
全員の視線がそっちを向く。
沙希は凪を見ていた。
まっすぐ。
逃げ道を塞ぐみたいな視線。
「一個聞いていい?」
凪は少し遅れて顔を上げた。
沙希は笑っていない。
「なんで離れないの?」
蒼と同じ質問。
でも。
言い方が違う。
蒼は面白がっていた。
沙希は。
確かめている。
凪は何も言わない。
沙希は肩をすくめた。
「だってさ」
ゆっくり言う。
「蒼、普通にクズじゃん」
周りが少し笑う。
蒼も笑う。
否定しない。
沙希は続ける。
「彼女いるのに他のやつ呼びつけて。
人前で犬って言って。
それでも来るんでしょ?」
グラスをテーブルに置く。
コト。
その音が妙に響く。
「意味わかんなくない?」
凪は黙っていた。
沙希は首を傾ける。
「好きだから?」
沈黙。
「それとも」
少しだけ笑う。
でも目は冷たい。
「そういう扱いが好き?」
その瞬間。
テーブルの空気が一段下がる。
誰かが「うわ」と小さく笑う。
凪の指がわずかに動く。
蒼はそれを見ていた。
興味深そうに。
沙希はさらに言う。
「だってさ。
普通、ここまでされたら来ないよ」
凪の喉が動く。
何か言おうとする。
でも。
言葉が出ない。
沙希はその沈黙を見て、少し笑った。
「ほら」
小さく言う。
「否定しない」
蒼が吹き出した。
「やめろって」
笑いながら言う。
「壊れる」
でも止めない。
むしろ楽しそうだった。
凪の耳の奥で、音が遠くなる。
周りの笑い声。
グラスの音。
店のざわめき。
全部が遠い。
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ぬいぬい
蒼が前に身を乗り出す。
「なあ」
凪の目を覗き込む。
「沙希の言ってること
当たってんの?」
凪は目を逸らした。
蒼が舌打ちする。
「こっち見ろ」
低い声。
凪は反射的に顔を上げた。
その動きで、周りがまた笑う。
「ほら」
「ほんと犬」
蒼は少しだけ黙った。
それから。
ぽつりと言う。
「でもさ」
指でテーブルを叩く。
トン。
「面白いよな」
凪の胸が嫌な音を立てる。
蒼は続ける。
「ここまで言われて
まだ帰らない」
その言葉に。
周りが静かになる。
確かに。
凪はまだ席にいる。
帰ればいいのに。
蒼が笑う。
「ほんと」
少し首を傾ける。
「どこまで耐えんの?」
凪はその言葉を聞いて。
初めて。
椅子から立ち上がった。
ガタン、と音がする。
テーブルの全員が凪を見る。
蒼も。
沙希も。
凪は何も言わなかった。
ただ、立っている。
その沈黙を。
沙希が破った。
「ほら」
小さく言う。
「やっと動いた」
蒼は凪を見上げて、少し笑った。
「帰るの?」
凪は答えない。
蒼は続ける。
「帰れる?」
その一言。
凪の足が止まる。
蒼はグラスを持ちながら言った。
「お前、いつも結局戻ってくるじゃん」
静かな声。
でも。
逃げ場を潰す言い方。
沙希が横でくすっと笑う。
「確かに」
そして。
凪を見て言う。
「どうするの?」
その目は。
助ける気なんて、まったくなかった。