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その夜、日下部の部屋の空気は、妙に静かだった。
蛍光灯の明かりの下、遥は毛布の端を指先でいじりながら、黙っていた。言葉が見つからないわけじゃない。ただ、口にしてしまったら何かが壊れてしまうような気がして、声にできなかった。
日下部がそっと隣に腰を下ろす。彼の視線が自分に向けられているのを感じながら、遥は無理に笑ってみせた。けれど、目は笑っていなかった。
「……なんで、しないの?」
言葉に棘はなかった。ただ、深く沈んでいた。試すようでもあり、問い詰めるようでもなく、ただ知りたくて聞いた声音。
日下部は、少しだけ目を伏せて言った。
「遥が本当に、望んでるようには見えなかったから」
その一言が、遥の胸を焼いた。喉の奥が、きゅうっと締めつけられる。
「……望んでなきゃ、ダメなの?」
ぽつりとこぼれた声は、自分のものとは思えなかった。怒っているわけでも、責めているわけでもなかった。ただ、静かに、壊れたような音だった。
日下部は何も言わない。ただ、そっと遥の肩に手を置いた。
その手のひらが優しすぎて、遥は息を呑んだ。
「触れられない方が、つらいんだよ」
遥は震える声でそう言った。
触れられることでしか、必要とされてるって思えなかった。
奪われることでしか、繋がれないと思っていた。
“そうじゃない”と否定されるたびに、自分が空っぽになっていくようで怖かった。
「……じゃあ、俺はどうしたらよかったんだ」
日下部のその言葉に、遥ははっとした。
問いは、責めではなかった。
“どうすれば、お前の苦しみに触れずにいられた?”
“どうすれば、お前を壊さずにそばにいられた?”
日下部の視線が遥をまっすぐ捉えていた。
遥は、初めて真正面から自分を見られた気がした。
言い訳も、笑顔も、痛みも、全部。
その瞬間、遥の中で何かが崩れた。
そして、静かに、涙がこぼれた。
壊れてしまいたいほど脆くて、
壊したくなるほど優しい時間だった。