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夕方のしずくシェルターには、灯りの匂いがある。
油ではなく、金属が熱を持つ前の冷たい匂い。コードをほどく時のゴムの匂い。ジャスパートの仕事場には、それがいつも漂っていた。
サベリオが入っていくと、ジャスパートは床にしゃがみ、仮設灯りの角度を何度も変えていた。手元には小さな紙片が何枚も並び、それぞれに橋、入口、客席、裏方動線と書かれている。
「手伝う?」
声をかけると、ジャスパートは肩だけで振り向いた。
「配線は触るな。順番が崩れる」
「じゃあ、立てるのだけ」
「それならいい」
相変わらずそっけない。けれど追い返さないだけ前よりましだ、とサベリオは思った。
二人で灯りを立てていくうち、デシアも様子を見に来た。彼女は試しに一つだけ点いた灯りの下へ立ち、目を細める。
「きれい」
そのひと言に、ジャスパートの指が止まった。
「……橋の上だと、もっと派手に見える」
「派手、いる?」
デシアが首をかしげる。
ジャスパートはしばらく黙っていたが、やがて低い声で言った。
「みんな、祭りっていうとすぐ派手さを欲しがる。でも俺は、顔が見えたほうがいいと思ってる」
サベリオとデシアは顔を見合わせた。
ジャスパートは視線をそらしたまま続ける。
「暗い橋の上で強い灯りを当てると、人は景色になる。きれいだけど、表情が消える。誰がどんな気持ちで立ってるか、見えなくなる」
その言い方は、照明の話をしているのに、それだけではない響きを持っていた。
「俺は、人の顔が見える明かりにしたい。笑ってるのか、泣きそうなのか、ちゃんとわかるやつ」
デシアが小さく息をのむ。
「それ、いい」
「いいの?」
「うん。音も同じだから。遠くで大きく鳴る音より、近くで誰かの息が混ざる音のほうが残る時がある」
その瞬間、サベリオは前の周回の失敗が少し別の角度から見えた気がした。橋の上を守ることばかり考えていたが、もしかしたら最初から、橋だけが舞台である必要はなかったのかもしれない。
ジャスパートは気まずそうに工具をいじった。
「別に橋が嫌いなわけじゃない」
「わかってる」
サベリオが言う。
「でも、橋じゃないとだめってわけでもない」
デシアがそっと続けた。
「しずくシェルターなら、顔が見えるね」
沈黙が落ちる。外では通り雨が屋根を叩き始めていた。短く、細かい雨音。その下で、試しにつけた灯りが石壁に柔らかな輪を作る。たしかにここなら、人の顔が見える。表情も、ためらいも、笑いも隠れない。
ジャスパートは照れたように鼻を鳴らした。
「仮の話だ」
「でも覚えた」
デシアが答える。
サベリオは、灯りに照らされた二人の横顔を見た。前は失敗の気配ばかり探していたのに、今は新しい道の形が見え始めている。
橋を捨てるのではない。誰がどこでいちばん生きるか、もう一度選び直せばいい。
外の雨はすぐに弱まった。だがシェルターの中には、その短い通り雨が落としていった考えが、しずかに残っていた。
#成り上がり
#死に戻り
#ハッピーエンド
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