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日下部の相談室2

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日下部の相談室2

52 - 第52話 自分の気持ちが分からなくなった

2025年11月28日

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相談室のドアが閉まる音は、いつも少しだけ鈍い。

日下部は机の端に肘を置いたまま、来訪者の足元を見る。靴が揃えられているか、無意識に確認する癖は、未だに抜けない。


「……別に、困ってるってほどじゃないんだけどさ」


そう前置きしてから、その人は椅子に深く腰を下ろした。

指先が落ち着かず、ジーンズの縫い目をなぞっている。


「なんか最近、自分の気持ちが分かんなくて。

怒ってるのか、悲しいのか、嬉しいのかも曖昧でさ」


日下部は頷かない。ただ、視線を外さずに聞いている。


「みんなが笑ってるときに、遅れて『あ、今笑うとこだった』って気づいたり。

逆に、あとで一人になってから、急に腹が立ったりしてさ」


少し間が空く。

その沈黙を埋めるように、言葉が続く。


「その場では何も感じてないみたいなのに、時間が経つと押し寄せてくる。

自分の感情なのに、ワンテンポ遅れてやってくるのが気持ち悪くて」


「……怖い?」


日下部が静かに聞くと、相手は一瞬だけ眉を寄せた。


「怖いっていうか……信用できない感じ。

今の自分の気持ちを、そのまま信じていいのか分かんない」


日下部は椅子にもたれかからない。

背筋を伸ばしたまま、淡々と話す。


「それ、感情がないわけじゃない。

ただ、感じる“余裕”が後回しになってるだけだ」


「余裕?」


「反応する前に、考える癖がついたんだと思う。

ここでどう振る舞うべきか、間違えてないか、空気壊してないか」


その人は、小さく笑った。


「それ、よく言われる。考えすぎだって」


「考えすぎなんじゃない。生き残るためのやり方だったんだろ」


日下部の声は低く、断定しないが揺れがない。


「即座に感情を出すと、痛い目に遭ったことがある人は、

一回、内側で検閲してからじゃないと動けなくなる」


沈黙。

今度は重くない。


「……じゃあさ」


相手は少しだけ前のめりになる。


「どうやったら、自分の気持ちをちゃんと感じられるようになる?」


日下部はすぐに答えない。

少し考えてから、ゆっくり言う。


「“分かろうとしない時間”を作れ。

今どう感じてるか、正解かどうか、判断しなくていい時間」


「それ、難易度高くない?」


「高いな。だから長くかかる」


それでも、と日下部は続ける。


「遅れて出てくる感情も、お前の本音だ。

遅いから偽物、なんてことはない」


「……後から来る怒りも?」


「ああ。押さえ込まれてただけだ」


相手は深く息を吐き、天井を見た。


「なんかさ、

ちゃんと感じられない自分って、人として欠けてる気がしてた」


「欠けてるんじゃない。

無理して壊れなかっただけだ」


その言葉に、少しだけ肩の力が抜ける。


「……ここ来てよかったかも」


日下部は、ほんの一瞬だけ目を伏せた。


「結論を急ぐな。

感情は、追いつこうとするほど逃げる」


そう言って、机の端を軽く指で叩く。


「今日は、それを知れたなら十分だ」


相談室のドアが開く。

足音が遠ざかっていくのを聞きながら、日下部は一人、静かに息を整えた。


遅れてやってくるものを、拒まない。

それは、思っているよりずっと難しく、そして必要なことだった。

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