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相談室は午後の光が斜めに差し込んでいた。
日下部はカーテンを半分閉めたまま、来訪者が椅子に座るのを待つ。
「進路の紙さ、提出期限近いんだよ」
前置きもなくそう切り出して、相手は机に視線を落とした。
「第一志望とか将来の夢とか書く欄あるじゃん。
あれ見ると、毎回手止まる」
日下部は ただ、相手の言葉の速さだけを聞いている。
「別に、何も考えてないわけじゃないんだけどさ。
やりたいことって言われると、急に何も無くなる」
指先が紙の端を弄ぶ。
「周りはさ、“昔からの夢”とか“これしかない”とか言うじゃん。
それ聞いてると、自分だけ中身スカスカみたいで」
「比べると、そう見えるな」
日下部の返事は短い。
「でもさ、それって甘えじゃない?
本気で何か探してない逃げっていうか」
「……その言葉、誰の声だ」
一瞬、相手が黙る。
「親。あと、先生。たまに友達」
「自分は?」
「……自分も、そう思うときある」
日下部は軽く息を吸った。
「夢があるかないかで、人の中身は決まらない」
即答だった。
「夢ってのは“結果”であって、材料じゃない。
空っぽに見えるのは、まだ形になってないだけだ」
「でもさ、
聞かれるたびに沈黙するの、地味につらいんだけど」
「つらいだろうな。
沈黙=価値がない、みたいな空気になる」
相手の肩が小さく上下する。
「正直、目標とか聞かれる場から逃げたい」
「逃げてもいい場と、逃げなくていい場がある」
日下部は机に指を組む。
「進路用紙は、未来の宣言書じゃない。
一時的な“仮置き”だ」
「仮?」
「変えていい前提のやつだ」
相手は苦笑した。
「そんなふうに思ってる人、周りにいない」
「声に出さないだけだ。
本当は大半が、決めきれてない」
沈黙。
今度は、焦りが薄れている。
「……さ」
相手は少し間を置いて言う。
「夢がない自分を、恥ずかしいって思わなくなる日は来る?」
日下部は、少しだけ視線を落とす。
「“恥ずかしい”って感覚が出るうちは、ちゃんと前向いてる」
「え?」
「何も考えてなかったら、恥じることもない」
その言葉に、相手は小さく息を吸い込む。
「じゃあ、今の自分は……」
「途中」
きっぱりと言って、日下部は立ち上がった。
「途中にいるやつを、空っぽとは言わない」
相談室の時計が一つ、音を立てて進む。
「今日はそれでいい。
無理に夢を作るな。
生きてりゃ、そのうち勝手に邪魔してくる」
ドアが閉まる。
午後の光が、少しだけ薄くなっていた。