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公判を前に、黒瀬は一切を語らなかった。
弁護人が促しても、
検察が詰めても、
供述は一言で終わる。
「黙秘します」
その理由を、 誰も知らない。
――ただ一人を除いて。
久我は、面会室のガラス越しに黒瀬を見ていた。
囚人服に身を包んだ姿は、 どこか静かで、 奇妙なほど落ち着いている。
「……久しぶりだな」
「はい」
黒瀬は、微かに頷く。
「順調そうだな」
「ええ」
その言葉の裏に、
“予定通り”という意味が含まれていることを、
二人とも理解していた。
「……なぜ、 最後まで黙った」
久我は、低く問う。
黒瀬は、少しだけ考える素振りを見せてから答えた。
「理由は、 二つあります」
「聞こう」
「一つ目は、 取引通りだから」
久我は、頷いた。
「二つ目は?」
黒瀬は、ガラスに指先を近づけた。
触れない。
だが、距離は測っている。
「あなたを、“同類”にしないためです」
久我の胸が、締め付けられる。
「……同類とは、 何度も聞いたな」
「ええ」
黒瀬は、穏やかに続ける。
「真実を知っていながら、歪めて生きる人間」
「……私は、もう歪めた」
「違います」
黒瀬は、即座に否定する。
「あなたは、選ばされただけです」
「結果は同じだ」
「違います」
声が、わずかに強くなる。
「あなたは、“正しさを諦めた人間”ではない」
久我は、言葉を失った。
「あなたは、正しさが通らない場所で、
それでも迷った」
黒瀬は、久我を見つめる。
「その迷いがある限り、あなたは、
こちら側には来ない」
「……こちら側?」
「檻の中です」
黒瀬は、静かに言った。
「自分の選択を、正当化し続けなければ生きられない側」
久我は、視線を落とす。
「……私は、君を、ここに閉じ込めた」
「ええ」
黒瀬は、頷いた。
「でもそれは、あなたがここに来るためではない」
久我の喉が、詰まる。
「……君は、なぜ、そこまでして」
「あなたが、外にいられるからです」
黒瀬は、迷いなく答えた。
「外にいる人間が、内側を忘れないために」
面会室に、短い沈黙が落ちる。
久我は、拳を握った。
「……それは、優しさなのか」
「いいえ」
黒瀬は、首を振る。
「自己満足です」
その言葉が、
なぜか一番、
残酷に聞こえた。
「私は、あなたに裁かれたかった」
黒瀬は続ける。
「だから、あなたを汚したくなかった」
久我は、目を閉じた。
――汚したくなかった。
その言葉が、
救いであると同時に、
取り返しのつかない呪いであることを、
理解してしまう。
「……もう、会うことはない」
「ええ」
黒瀬は、穏やかに頷く。
「それが、正しい距離です」
立ち上がる直前、 黒瀬が言った。
「久我さん」
「何だ」
「あなたは、
正しくあろうとする人間です」
黒瀬は、微かに笑う。
「だから、苦しみ続ける」
面会終了の合図が鳴る。
黒瀬は、立ち上がり、一礼した。
久我は、席を立てなかった。
――黙秘の理由は、
法でも、
戦略でもない。
“同類にしない”という、
たった一人への選別だった。
それが、
愛なのか、
支配なのか、
久我には、
もう区別がつかなかった。