昼休みが終わる頃の校舎は、いつも中途半端に騒がしい。
笑い声も足音も、すぐ近くにあるのに、どこか膜を隔てているみたいに遠い。
階段裏は、今日も薄暗かった。
窓はあるが、光は届かない。埃っぽい空気が滞留している。
(またここか)
遥が足を踏み入れた瞬間、視界の両端が塞がれた。
背後にも気配が近づく。
数は、三……いや、四。
「逃げねぇんだな」
前に立った男が、鼻で笑う。
「日下部さぁ、最近お前のこと見てねぇよな」
答える前に、脇腹に衝撃が来た。
拳が沈む、という表現が一番近い。
「……っ」
息が抜けた。
吸おうとしても、空気が途中で止まる。
(あ、これ……苦しいやつだ)
一歩下がったところに、すぐ足が出る。
脛を蹴られ、体勢を崩した。
「見放されたって、マジだったんだ」
床に片手をついた瞬間、背中に重さが乗る。
倒れるより早く、もう一発。
腹部。
さっきより重い。
「っ……!」
音は出なかった。
声を出す余裕がない。
「なぁ、可哀想だよな。日下部」
誰かがそう言って、笑う。
それに同調する声。
「庇ってたのにさ。ああいうのに利用されて」
(……利用)
その言葉が、頭の中で引っかかる。
(違う……とは言えない)
否定できる材料が、今の遥にはなかった。
庇われていた自覚はある。
同時に、迷惑だったかもしれない、という考えも消せない。
「ペット気取りだったんじゃねぇの?」
「誰にも必要とされねぇくせに」
倒れ込んだところに、足が降ってくる。
肩、脇腹、太もも。
わざと顔を避けているのが、分かる。
(残らないとこ……選んでる)
その冷静な認識と同時に、痛みが遅れて広がる。
鈍く、内側に溜まるような痛み。
息が乱れる。
浅く、速くなっていく。
「そんなんで日下部の隣に立とうとしてたわけ?」
「重すぎだろ」
胸の奥が、きゅっと縮んだ。
(……俺が、重かった)
それは事実かもしれない。
助けてもらって、期待して、勝手に縋って。
もう一発蹴りが入る。
今度は腹。
視界が一瞬白んだ。
「おっと、まだ意識ある?」
笑い声。
楽しんでいるのが、はっきり分かる。
足音が、引いていく。
誰かが「ああ、日下部も可哀想だわ」と言い残す。
階段裏に、音がなくなる。
遥はしばらく、動けなかった。
床の冷たさが、制服越しに滲んでくる。
呼吸を整えようとする。
うまくいかない。
腹の奥が痛みで波打っている。
(……俺が悪いんだ)
自然に、そう思った。
いつものように。
ゆっくり身を起こす。
手が、少し震えている。
階段の影の向こう、廊下の先に人影があった。
こちらを直接見てはいない。
ただ、状況を測るような、静かな視線――蓮司。
(……見てた、よな)
声もかけない。
止めもしない。
けれど、目は逸らさない。
(次、考えてる)
そう感じた瞬間、背筋がひやりとした。
遥は何も言わず、壁伝いに立ち上がった。
痛みはある。
息もまだ浅い。
それでも、完全に折れてはいない。
(……ここで終わりじゃない)
拒絶とも呼べない、ほんの小さな違和感が、
胸の奥で消えずに残っていた。
それだけを抱えたまま、遥は階段裏を出た。






