テラーノベル
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教室は、特に騒がしくも静かでもなかった。
いつも通りの雑談があって、いくつかのグループに分かれて、それぞれが同じくらいの温度で話している。笑い声はあるが、大きすぎない。誰も場を引っ張っていない代わりに、誰も外れてもいない。
その“均一さ”が、保たれている。
遥は、自分の席でノートを開いていた。
会話には入っていないが、完全に切り離されてもいない位置。声は聞こえているし、流れもなんとなく分かる。
分かるだけで、十分だと思っている。
関わらなければ、壊さないで済む。
それが一番安全だと、体が覚えている。
「昨日さ、あいつマジでやばくなかった?」
斜め前の席から声が飛ぶ。
何の話かは、少し遅れて分かる。昼休みに揉めていた別のクラスのやつのことだ。
「あれな、普通に引いたわ。なんであんなこと言えるんだろ」
「空気読めてないってレベルじゃないよな」
笑いが混じる。
否定しながらも、どこか楽しんでいる空気。
誰かが過剰にズレていることを、共有しているときの軽さ。
遥は、ノートに視線を落としたまま、その会話を聞いていた。
“空気読めてない”。
その言葉だけが、少し残る。
「お前どう思う?」
突然、声が向く。
名前は呼ばれない。
けれど、誰に向けられているかは分かる。
一拍遅れて、視線が上がる。
何人かがこちらを見ている。
試すような、軽い感じで。
重さはない。
だからこそ、逃げにくい。
「……別に、そこまでじゃないと思う」
言葉は、自然に出た。
考える前に出たわけではない。けれど、深く整える前に出てしまった。
一瞬、音が消える。
完全な沈黙ではない。
誰かが椅子を動かす音がして、遠くで別の笑いがある。
でも、この周囲だけが、切り取られたみたいに静かになる。
「……は?」
短い声が落ちる。
問いというより、確認。
「いや、あれ普通に引くだろ」
「みんなそう言ってるじゃん」
言葉が重なる。
さっきまでと同じトーンのはずなのに、向きが変わっている。
遥は、少しだけ息を吸う。
(合わせればいい)
すぐにそう思う。
思うのに、さっき言った言葉が残っている。
消せない。
訂正すればいいはずなのに、タイミングが分からない。
「……でも、言ってること自体は、間違ってなかったし」
出てしまう。
さっきよりも、少し具体的に。
余計に。
誰かが笑う。
今度は、さっきのような軽い笑いじゃない。
一歩引いたところからの、距離のある笑い。
「いや、何それ。擁護してんの?」
「そういうとこだよな」
すぐに言葉が乗る。
遅れない。
さっきまでの流れより、はっきりと揃う。
イケメンと金でできたムツゴロウ
46
蒼華
#日本愛され
洋食派‼︎
21
遥は、喉の奥が少しだけ乾くのを感じる。
(違う)
と思う。
違う、というより、ずれている。
今の言い方は、よくなかった。
でも、何が正しかったのかは、もう分からない。
「そういう正論っぽいのさ、今いらないから」
誰かが言う。
強くはない。
けれど、区切るには十分な強さ。
「今の流れでそれ言うの、普通に空気壊してるって分かる?」
“空気”。
その言葉が出た瞬間、全体の意味が固定される。
個人の意見じゃなくなる。
場の問題になる。
「……別に壊すとかじゃなくて」
言いかける。
言いながら、遅いと分かる。
「ほら、そうやってさ」
被せられる。
途中で切られる。
「説明しようとするのが、もうズレてるんだって」
「そう、そこなんだよな。なんで毎回そうなるの」
ため息の音が混じる。
わざとらしくはない。
自然な反応として出される。
それが、余計に刺さる。
遥は、口を閉じる。
ここで続けても、悪くなるだけだと分かる。
分かるのに、さっきの一言が消えない。
(やった)
遅れて、理解する。
空気を壊した。
ほんの少しのズレだったはずなのに、それがはっきりと形になっている。
周囲の視線が、さっきとは違う。
軽さが消えて、測るような目になる。
誰も怒ってはいない。
でも、許されてもいない。
「もういいって、そういうの」
誰かが締めるように言う。
「合わせればいいだけなんだからさ」
簡単なこととして提示される。
難しさは、そこには含まれていない。
遥は、何も言わない。
言えない、ではなく、言わない。
ここで黙ることが、最低限の修正になると分かっているから。
会話は、別の話題に移る。
少し無理やりに。
けれど、それもすぐに馴染む。
笑いが戻る。
さっきと同じくらいの音量で。
同じように、均一に。
ただ、その均一さの中に、自分が含まれていないことだけが、はっきりする。
遥はノートに視線を落とす。
文字は目に入らない。
(なんであれ言った)
思考が、そこに戻る。
言わなければよかった。
最初に合わせればよかった。
「そうだね」で終わらせればよかった。
それだけで、何も起きなかった。
分かっていることを、やらなかった。
だから、こうなった。
(自分のせいだ)
結論は、すぐに出る。
疑う余地はない。
もし違うと考えれば、その考え自体がまたズレになる。
それは避けないといけない。
だから、考えを止める。
止めたまま、次を待つ。
さっきの空気は、完全には消えていない。
表面は戻っている。
でも、下に残っている。
少しのきっかけで、また引き上がる位置に。
それを、全員が共有している。
言葉にしなくても分かる形で。
遥だけが、それを“原因”として持っている。
コメント
1件
うわあ……読んでて胸が締め付けられました。「合わせればいいだけ」という言葉の残酷さがすごく伝わってきて。遥が「そうだね」で終わらせられなかった、ほんの少しの正直さが逆に彼女を孤立させるこの構造、リアルで苦しいです。クラスの“均一な空気”に自分だけ含まれなくなっていく感覚の描き方が丁寧で、続きが気になります。