テラーノベル
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少しのきっかけで、また引き上がる位置にあった。
さっきの会話は終わっている。表面上は、もう別の話題に移って、笑いも戻っている。けれど、その下に残った違和感は、消えていない。
誰も触れないまま、置かれている。
だから、軽い刺激でいい。
引き上がるには、それで十分だった。
「なあ、さっきのさ」
誰かが、何気なく言う。
わざとらしさはない。ただ思い出しただけ、という調子で。
けれど、その一言で、周囲の意識が揃う。
「結局どういうこと?あれ」
笑いが少し混じる。
問いというより、再確認。
さっき処理しきれなかったものを、もう一度出すための。
遥は、ノートに落としていた視線を上げる。
反応しないという選択もある。
でも、それも“ズレ”になると分かっている。
無視は、余計に空気を固める。
「……別に、さっき言った通りだけど」
言いながら、遅いと思う。
もう一度同じことをなぞるのは、正しくない。
でも、他の言い方も浮かばない。
「まだそれ言うの?」
間髪入れずに返る。
「いや、もういいって言ったじゃん」
「引っ張るのやめてくんない?」
言葉が重なる。
さっきよりも、少しだけ強い。
遠慮が一枚剥がれている。
遥は口を閉じる。
ここで引けばいい。
そう思う。
思うのに、遅れてもう一つだけ出てしまう。
「……でも、そんなに言うことじゃないと思う」
その瞬間、空気が変わる。
今度は、はっきりと。
曖昧さが消える。
「は?」
声が低くなる。
笑いが消える。
「お前さ、マジで分かってないの?」
誰かが立ち上がる。
椅子の音が、やけに大きく響く。
それが合図みたいに、周囲の姿勢が変わる。
遥の周りの距離が、少しだけ詰まる。
逃げ場は最初からなかったが、その事実が強調される。
「さっきさ、もう終わりってなったじゃん。それをさ、自分からまた出してきてさ、しかもまだズレたこと言うって、どういうつもり?」
詰めるような口調。
怒鳴ってはいない。
でも、逃がさない形で言葉が続く。
「……別にそういうつもりじゃ」
言いかけた瞬間、腕を掴まれる。
強くはない。
けれど、動きを止めるには十分な力。
「そういうつもりじゃないなら何?結果的にそうなってんじゃん」
引かれる。
立たされる。
椅子の脚が床を擦る音が、遅れて鳴る。
周囲の視線が、一斉に集まる。
さっきと同じ構図。
でも、今回は早い。
段階を踏まない。
「分かってないよな、これ」
別のやつが近づく。
距離がゼロになる。
「自分がどれだけズレてるか、全然分かってない」
胸を軽く押される。
バランスが崩れるほどじゃない。
でも、後ろに一歩下がる。
その一歩で、囲まれる形になる。
「言葉で分からないならさ」
誰かが言う。
いつもと同じ流れ。
ただ、今回は間が短い。
「ちょっと分からせた方がいいよな」
否定は出ない。
誰も止めない。
それが、そのまま決定になる。
肩を掴まれる。
もう一方からも。
逃げようとしない。
逃げたら、余計に面倒になる。
分かっている。
「ほら、ちゃんと見ろよ」
顔を上げさせられる。
視線を逸らすと、それ自体がまた指摘される。
だから、逸らさない。
「なんでこうなってるか、分かる?」
答えは決まっている。
でも、言う前に、頬に衝撃が来る。
強くはない。
けれど、音が出る程度にははっきりした一発。
一瞬、耳の奥で音が跳ねる。
「分かるか聞いてんだよ」
同じトーンで、繰り返される。
遥は、口を開く。
「……俺が、空気壊したから」
「それだけ?」
すぐに返る。
間を与えない。
「それでさっき終わったのに、また出してきてさ、しかも反省してないみたいなこと言うからだろ」
言葉が重ねられる。
整理される。
逃げ道がなくなる。
「……反省してる」
言う。
言いながら、足りないと分かる。
「してないじゃん。言ってること全部逆じゃん」
腕を引かれる。
バランスが崩れる。
もう一度、軽く押される。
今度は壁に背中が当たる。
逃げ場が完全になくなる。
「口だけでさ、結局分かってないんだよ」
「だからこうなんだろ」
また、頬に衝撃。
さっきよりも少しだけ強い。
痛みが遅れてくる。
でも、それより先に、理解が来る。
(足りない)
言葉が足りていない。
正しい形で出せていない。
「……分かってない。ちゃんと分かってなかった」
修正する。
即座に。
「だから、もうやらない。合わせる」
途切れさせない。
一息で言う。
途中で止まると、また崩れる。
数秒、間が空く。
視線が集まる。
判定の時間。
「最初からそれ言えよ」
誰かが吐き捨てる。
掴んでいた手が、少しだけ緩む。
完全には離さない。
まだ終わりきっていない距離。
「毎回さ、余計なこと言うからこうなるんだって」
「自分で分かってんだろ?じゃあやんなよ」
最後に、もう一度だけ押される。
強くはない。
でも、終わりの合図としては十分。
手が離れる。
距離が少し戻る。
完全には元に戻らない。
さっきよりも、近いまま。
「もういいわ。次からちゃんとしろよ」
誰かが言う。
それで終わる。
会話が切り替わる。
笑いが戻る。
さっきと同じように。
ただ、少しだけ温度が違う。
処理が済んだ後の、軽さ。
遥は、その場に数秒遅れて残る。
体がすぐに動かない。
遅れて、席に戻る。
椅子を引く音を小さくする。
ノートを開く。
視線を落とす。
(なんで、また言った)
思考が、そこに戻る。
分かっていたのに。
最初で止めればよかったのに。
余計な一言で、全部引き戻した。
(自分のせいだ)
結論は、すぐに出る。
他の可能性は考えない。
考えたら、それ自体がまたズレになる。
頬の痛みよりも、そっちの方が強く残る。
正しく動けなかったこと。
正しく言えなかったこと。
それが原因で、こうなった。
だから、次は間違えない。
間違えなければ、起きない。
その基準だけが、静かに残る。
コメント
1件
この54話、めっちゃ痛かった……。遥の「足りない」って自己分析がもう、読んでて胸がぎゅっとなる。正しく動けなかった自分を全部自分のせいにして、次は間違えないって閉じていく感じ、すごくリアルで怖かった。周りの空気が変わっていく速さとか、「分からせる」流れが日常的に起きてるんだろうなって想像させられる描き方が上手すぎる。ruruhaさん、この空気感の描写、ほんとヤバかったです……。次、遥がどう動くのか気になる。
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あも