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階段裏は、昼でも薄暗い。チャイムが鳴った直後の喧騒が遠ざかり、そこだけ校舎の音が途切れる。
遥が足を踏み入れた瞬間、三方向から影が滑り込んできた。
「よぉ、ひとりで行動できるようになったんだ?」
声の主は、数日前まで蓮司に牽制されて黙っていた連中だ。
蓮司が動き出した途端、彼らは待ってましたとばかりに息を吹き返した。
逃げ場はない。
壁に背をつけた瞬間、脇腹に拳が沈んだ。
「……っ」
息が漏れる。痛い――それは当然として、衝撃が深くて呼吸がうまく入ってこない。
「おい、倒れんなよ。まだ何もしてねぇだろ?」
次の蹴りは足元。
重心を崩され、片膝が床に落ちた。
笑い声が落ちてくる。
「日下部、マジで怒ってたらしいな?」
「見放されたって噂、ほんと? あいつ、お前のこと庇って損したよな」
「……違、」
言葉が喉に詰まる。
否定はしたい。日下部が“見放した”なんて――本当は思っていない。
ただ、追いつめられている最中で、その事実が自分を支えられるほど強くもない。
「違うって顔してんのが、一番ダセぇんだわ」
頭を押さえつけられ、横倒しになる。
床の冷たさと、腹に落ちる靴の重みが交互にくる。
痛みは鋭くない。鈍く沈んで内側でひろがっていく。
「誰にも必要とされねぇペットは、吠えんなよ」
「日下部、ほんと可哀想。お前の面倒なんか見たら、そりゃ重いよな?」
胸の奥で、何かが鈍く動いた。
日下部の名前が出るたび、反射みたいに息が引きつる。
信じたい自分と、それを“信じる資格がない”と責める自分が、同時に胸を抉る。
「……関係、ねぇよ。日下部は……」
言ってしまった。痛みのせいじゃない。
その名前を勝手に汚されたままなのが、どうしても耐えられなかった。
だが、返ってきたのは嘲笑だけだった。
「ほらな、まだ縋ってんじゃん」
「その弱さがさ、一番キツいわ」
さらに一発。
これまで我慢していた呼吸が“折れる”みたいに吸い込めなくなる。
――痛い。
でも、それだけじゃない。
殴られるたびに、日下部の顔が浮かぶ。
“見放されていない”と思ってしまう自分が、情けなくて気持ち悪くて、それでも消えてくれない。
「じゃ、また後で続きをしよーぜ。どうせ逃げねぇだろ?」
靴音が遠ざかる。
階段裏に戻ってくる静けさが、逆に耳を刺した。
遥は、しばらく体を動かせないまま、うつ伏せで呼吸を整えた。
腹の奥で痛みが波打つ。
言い返した一言が、今も頭の中で反響している。
――守られたいわけじゃない。
――でも、勝手に“捨てられた”ことにされるのは、違う。
その矛盾が、胸のどこかで燻り続けていた。
やがて、ゆっくりと体を起こす。
手足は震えるが、心だけは折れていない。
小さな、ほんの小さな拒絶の熱が――まだ息をしている。
それだけを確かめて、遥は立ち上がった。