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放課後のグラウンドは、誰もいなくなっていた。部活動の喧騒も、すでに校舎の裏手には届かない。夕焼けが、まだ赤く地面を染めている。
「おーい、遥。片付け手伝えって先生が言ってたぞ」
聞き慣れた声に、反射的に体が強張った。
三人組の笑い声が、体育倉庫の影から聞こえる。用具の片付けなど、誰にも頼まれていないことは、遥が一番よく知っている。
それでも足を止めるしかない。逆らえば、もっとひどくなる。
心臓が、喉の奥でぶつかるように鼓動を打っていた。
倉庫の扉が開いた。
中には、砲丸、ハードル、マット、それに…三人。見覚えのある悪意たちが、日常の一部のようにそこにいた。
「今日のターゲット、何にする?」
「こないだのはちょっと地味だったな。見えないところにしとけよ、あんま派手にやるとバレるし」
笑いながら、ジャージのままの誰かが、遥の胸ぐらを掴んだ。
「お前さ、ちょっとは痛がるとか、嫌がるとかしろよ? 無反応だとこっちもつまんねーんだよ」
そう言うと、遥の足元を蹴り払った。
バランスを崩し、体育マットに倒れ込む。
柔らかいはずのマットが、冷たくて、どこか土臭い。
押し倒されるようにして、上から誰かの膝が遥の腹に落ちた。
声が出ない。内臓が、じわりと押し潰されていく。
「声、出してみろよ」
頬にビンタが飛んだ。
乾いた音が、倉庫にこだました。
「泣けって言ってんだよ。お前、マジで人間か?」
誰かが言いながら、シャツの裾を無理やりめくる。
あばらの浮き出た皮膚に、マジックペンで何かを書き始める。
『汚物』『奴隷』『生きる価値なし』
何本もの言葉が、遥の体に刻まれていく。痛みはないのに、焼けつくように恥ずかしく、叫び出したくなるのに声が出ない。
むしろ、声を出せば何かが壊れる気がした。自分が自分でいられなくなる。
誰かがカメラを構える気配がした。
「これ、あとでグループに流すな。反応見よーぜ」
そう言いながら、顔を近づけてきた少年が、笑いながら囁いた。
「お前がいくら我慢しても、何も変わんねーよ。誰も助けないし、お前はずっとここだよ」
遥は、視線を宙に投げた。
天井の蛍光灯が、点滅している。
その白い明滅が、何もかも嘘みたいに思えた。
——生きているのか、わからない。
それでも、声は出さなかった。
涙も流さなかった。
ただ、誰にも見えないところで、遥の“なにか”が、またひとつ壊れていった。