テラーノベル
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雨が降り始めたのは、六時間目の終わりだった。
窓を叩く雨粒に、何人かが顔を上げる。
「結構降ってる」
「傘持ってねぇ」
そんな声が教室のあちこちで上がる。
チャイムが鳴る。
教師が教室を出ると、生徒たちは一斉に帰る支度を始めた。
日下部も鞄を持ち上げる。
そのとき。
遥が席を立った。
いつもと同じ動き。
急ぐわけでもない。
周りを見るわけでもない。
ただ、教室を出ていく。
日下部は一瞬だけ視線で追う。
すぐに目を逸らした。
(……やめろ)
まただ。
無意識に追っている。
それに気づくたび、自分で自分に歯止めをかける。
守ることと、見張ることは違う。
そう思うからこそ、足を止めた。
「日下部」
後ろからクラスメイトに呼ばれる。
「今日の課題、提出した?」
「あ……まだ」
「職員室寄るなら一緒に行こうぜ」
「ああ」
短く返す。
職員室へ向かう廊下は、生徒の行き来が絶えなかった。
課題を提出し、教室へ戻る。
その途中。
窓際に立つ遥の姿が見えた。
廊下の先。
雨を見ている。
距離はある。
声をかけるほどでもない。
日下部は立ち止まらない。
そのまま歩く。
すれ違う瞬間だけ、遥が少し顔を上げた。
目が合う。
ほんの一瞬。
「……傘」
日下部が言う。
「持ってるか」
遥は小さく頷いた。
「ある」
「そうか」
会話は、それだけ。
日下部は歩き出す。
追いかけない。
立ち止まらない。
その背中を、遥は少しだけ目で追った。
追ったことに気づいて、すぐ視線を外す。
窓に映る自分を見る。
(今のでよかった)
声をかけられた。
それで終わった。
何も足さない。
何も求めない。
そのくらいがちょうどいい。
そう思おうとする。
けれど胸の奥では、別の声がする。
(今日は来た)
廊下で。
目の前を通った。
話しかけた。
たったそれだけのことを、どこかで数えている自分がいる。
遥は眉を寄せた。
(違う)
数えるな。
意味を持たせるな。
あの日から、自分は何度もそう言い聞かせてきた。
助けられたことと、
救われたことは違う。
近づけば、その違いを忘れそうになる。
だから距離を取る。
取らなければならない。
そう決めたはずだった。
雨は少し強くなる。
昇降口では、生徒たちが傘を開いていた。
日下部も傘を差し、校門へ向かう。
その途中、一度だけ振り返る。
遥はまだ昇降口の屋根の下に立っていた。
誰かを待っているようにも見える。
雨を見ているだけのようにも見える。
日下部はそれ以上考えない。
前を向き、歩き出した。
その背中が見えなくなってから、遥はゆっくりと傘を開く。
雨音が一つ増える。
みぅ 。
誰もいない帰り道。
一定の足取りで歩きながら、遥はふと気づく。
自分は今日一日、
何度、日下部の姿を探しかけただろう。
答えは考えない。
考えれば、言葉になってしまう。
言葉になれば、否定できなくなる。
だから今日も、そのまま歩き続けた。
コメント
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あおいです🌷 第62話、読み終えました。雨の日の静かな距離感、すごく沁みました…。 「傘、持ってるか」「ある」「そうか」——たったこれだけの会話なのに、お互いが「数えないようにしている」自分を必死にコントロールしてるのが伝わってきて、胸がぎゅっとなりました。日下部が「やめろ」と自分に言い聞かせるシーンと、遥が「今日は来た」と数えてしまうシーンの対比、本当に繊細で、愛おしいです。 お互いが見ているのに、見ないふりをする。その歯がゆさが、雨の情景とぴったり重なって、切なくて何度も読み返してしまいました。ruruhaさんの、無駄のない描写が光る回でした。次も楽しみにしています📖