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放課後。
校舎の中は、昼間よりずっと静かだった。
部活動へ向かう足音。
階段を下りる音。
遠くから聞こえる笑い声。
それらが少しずつ薄れていく。
蓮司は廊下の窓際に立っていた。
スマホを眺めている。
通知はない。
画面を消す。
また外を見る。
校庭の端に、遥がいた。
一人だった。
誰かと話しているわけでもない。
ただ、帰る生徒の流れから少し外れて立っている。
蓮司はしばらく眺めていた。
「……まだいるんだ」
独り言。
別に声をかけるつもりはない。
そのまま視線を外す。
少しして、足音が近づいてきた。
「蓮司」
日下部だった。
「何してんの」
「帰ろうかなって」
「かなって何だよ」
「帰る気はある」
「どっちだよ」
蓮司が笑う。
「日下部は?」
「俺も帰る」
「じゃ、一緒に行く?」
「……また?」
「嫌?」
「別に」
二人で歩き出す。
廊下を曲がったところで、日下部がふと窓を見る。
「……遥、まだいるな」
蓮司も窓を見る。
「いるね」
「最近、あいつ遅いな」
「そう?」
「前より」
「見てるじゃん」
「見てねぇよ」
「そう?」
蓮司は笑った。
日下部は何も返さない。
しばらく歩く。
階段を下りる。
踊り場で、日下部が足を止めた。
「なあ」
「ん?」
「あの日」
蓮司が振り返る。
「屋上のこと?」
「……そう」
「まだ気にしてる?」
「気にするだろ」
「そっか」
軽い。
あまりにも軽い。
日下部は蓮司を見る。
「お前は?」
「何が」
「気にしてないのか」
蓮司は少し考える。
「してるよ」
「……そうは見えない」
「よく言われる」
それだけ。
日下部は階段の手すりに手を置く。
「俺さ」
少し言葉を探す。
「もっと早く気づけたんじゃないかって、最近思う」
蓮司は何も言わない。
「前から知ってたんだよ。家のことも、学校のことも」
「うん」
「なのに、何か起きるたびに後から気づく」
「うん」
「……お前、知ってた?」
蓮司は日下部を見る。
「何を?」
「遥が、あそこまで……」
言葉が止まる。
蓮司は急かさない。
ただ待つ。
日下部は結局、首を振った。
「……いい」
「そ」
蓮司は階段を下りる。
「でも」
数段先で立ち止まる。
「日下部」
「ん?」
「お前が全部気づいてたら、何か変わったと思う?」
日下部は答えられない。
蓮司はそれ以上何も言わなかった。
その夜。
蓮司は一人で歩いていた。
スマホを取り出す。
過去のメッセージを開く。
屋上の日より前。
短いやり取り。
必要なことしか書かれていない。
蓮司は画面を眺める。
そして、指を止めた。
あの日。
遥がどうなるか。
日下部がどう動くか。
全部を正確に知っていたわけではない。
そんなことはできない。
人間だから。
気分も。
判断も。
ほんの少しの偶然もある。
だから、蓮司にできたのは、
一つだけだった。
「こっち」
と、方向を示すこと。
それだけ。
行くかどうかを決めたのは、日下部だ。
止まったのも。
踏み込んだのも。
遥の前に立ったのも。
全部、日下部自身だった。
蓮司はスマホを閉じる。
「……まだ耐えるか」
小さく呟く。
あの日と同じ言葉。
けれど、その言葉を向けていた相手は一人ではなかった。
遥だけを見ていたわけでもない。
日下部がどこまで背負うのか。
遥がどこまで離れようとするのか。
そのどちらも、まだ途中だった。
だから。
終わっていない。
蓮司は歩き出す。
振り返らない。
その顔には、いつもの薄い笑みだけが浮かんでいた。
コメント
1件
このエピソード、すごく静かで重い空気が伝わってきました。日下部の「もっと早く気づけた」っていう後悔とか、蓮司の「方向を示すことしかできなかった」っていう距離感が、すごくリアルで…。特に蓮司の「まだ耐えるか」って言葉、あの場面で胸に刺さりました。終わっていない感じが続く余韻が、すごく好きです。素敵な作品をありがとうございます。