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#BL
教室に戻る。
鞄を持つ。
誰とも話さない。
誰からも話しかけられない。
それで終わる。
そのはずだった。
「おい」
席を立とうとした瞬間だった。
後ろから伸びてきた足が、遥の椅子を引っかける。
バランスを崩す。
鞄が床に落ちた。
中身が散らばる。
「わ」
「悪ぃ」
笑い声。
謝る気なんてない。
「大丈夫かよ」
「自分で転ぶとか危な」
また笑う。
遥は何も言わない。
床にしゃがみ込む。
一つずつ拾う。
消しゴム。
筆箱。
ノート。
教科書。
そして。
転がった缶ジュース。
ころころと床を転がり、机の脚にぶつかって止まる。
「あ」
「何それ」
「ジュース?」
「珍し」
数人が興味を向ける。
遥の指が止まった。
まずい。
胸の奥がざわつく。
「誰にもらったの?」
「彼女?」
「まさか日下部?」
くすくす。
笑い声。
遥はすぐに缶を掴んだ。
「関係ねぇだろ」
「おー、怒った」
「図星?」
「怖」
また笑い声。
その時だった。
「何やってんだ」
入り口から声がした。
遥の身体が強張る。
振り向かなくても分かった。
日下部だった。
クラスメイトたちの顔が変わる。
「お、また来た」
「噂をすれば」
「彼氏?」
馬鹿みたいな笑い。
遥の顔から血の気が引く。
やめろ。
やめてくれ。
日下部は周囲を見る。
床に散らばった荷物。
しゃがみ込んだ遥。
笑っている連中。
「別にー」
「こいつ勝手に転んだだけ」
「俺ら何もしてねぇよ?」
へらへらした声。
日下部は何も言わない。
数秒。
「ふーん」
それだけだった。
怒鳴りもしない。
睨みつけもしない。
ただ。
「もう帰れよ」
ぽつりと言う。
「は?」
「部活だろ」
「……まぁ」
「先生来たら面倒だし」
軽い調子。
男子たちも顔を見合わせる。
「何だよそれ」
「帰るか」
「またなー」
笑いながら教室を出ていく。
女子たちもつられて出ていった。
気づけば。
教室には二人だけになっていた。
夕陽が差し込む。
静かだった。
遥はしゃがんだまま。
最後のノートを拾う。
「……」
「……」
沈黙。
「腰痛ぇ?」
日下部が言った。
「別に」
「そう」
近づいてくる。
そして。
当たり前みたいに床へしゃがんだ。
遥の横。
「やめろ」
「何が」
「いい」
「何が」
「自分でやる」
「もう終わってる」
日下部は最後の消しゴムを拾い、机の上へ置いた。
遥は顔を上げない。
「最近」
日下部が言う。
「避けてるよな」
「……」
「何となく分かるけど」
遥の指が止まる。
「家か?」
返事はない。
「学校か?」
返事はない。
「それとも両方か」
「……」
「まぁいい」
日下部は苦笑した。
「言いたくねぇならいい」
遥は唇を噛む。
それでいい。
それでいいはずなのに。
「でも」
日下部の声。
「お前、最近無理しすぎ」
「してねぇ」
「してる」
「してねぇ」
「してる」
即答。
少しだけ。
前みたいなやり取り。
遥の胸が痛んだ。
「……何なんだよ」
「俺も知りたい」
日下部が笑う。
「何なんだろうな」
「……」
「俺、お前に嫌われた?」
遥が顔を上げた。
初めて。
日下部の顔を見る。
笑っている。
でも。
少しだけ疲れた顔だった。
「……違う」
小さく出た声。
「違う?」
「……」
「じゃあ何」
答えられない。
日下部もそれは分かっていた。
遥が答えられないこと。
言葉にできないこと。
分かっていた。
だから。
少し困ったように笑う。
「なぁ」
「……」
「俺、お前の頭の中までは分かんねぇよ」
遥の目が揺れる。
「何考えてんのかも何が怖いのかもどこまで踏み込んでいいのかも。正直、よく分かんねぇ」
「……」
「でもさ」
日下部は少し視線を落とした。
「避けられると普通に傷つく」
遥の呼吸が止まる。
「腹立つし意味分かんねぇし昨日からずっとモヤモヤしてる」
笑う。
でも。
少しだけ苦そうだった。
「それでも」
日下部は遥を見る。
「お前見てると、放っといていい顔してねぇんだよ」
「……」
「だから困ってる」
遥は何も言えなかった。
日下部の言葉は分からない。
いや。
分かるから困る。
優しくされる理由が分からない。
見返りもない。
怒鳴らない。
殴らない。
機嫌を窺わなくていい。
そんな関係。
知らない。
知らないから。
怖い。
「……お前」
やっと声が出た。
「何でそんななんだよ」
「知らねぇ」
日下部が笑った。
「俺も意味分かんねぇ」
「……馬鹿」
「知ってる」
少しだけ。
本当に少しだけ。
教室の空気が緩む。
その瞬間。
遥は自分の口元が緩みかけたことに気づいた。
そして。
血の気が引いた。
駄目だ。
慣れるな。
安心するな。
期待するな。
好きになるな。
失う。
壊れる。
全部。
知ってるだろ。
なのに。
目の前の日下部は。
そんな遥の恐怖を正確には知らないまま。
「帰るか」
いつもの調子で立ち上がる。
その一言が。
どうしようもなく。
遥を怖くさせた。
コメント
1件
うわ……第3話、すごく重かったです。日下部が「避けられると傷つく」って言ったところ、胸がぎゅっとなりました。遥くんの「慣れるな、安心するな」っていう心の声が切なくて、優しさが逆に怖いっていう感覚、すごく分かる気がします。二人の距離が少し縮まったようで、でも遥くんがまた壁を作ろうとしてるのが辛い……。続きが気になります。