テラーノベル
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放課後。
窓の外は薄く曇っていた。
部活へ向かう生徒たちの声が、開け放たれた窓から断続的に流れ込んでくる。
教室には数人しか残っていない。
日下部は机の横に鞄を置き、ノートをしまっていた。
教科書の角がうまく入らず、小さく舌打ちする。
その時だった。
「帰る?」
振り向く。
教室の後ろの扉にもたれ、蓮司が立っていた。
いつもの顔だった。
眠そうにも見えるし、笑っているようにも見える。
「……ああ」
「途中まで一緒でいい?」
「別にいいけど」
蓮司は「ありがと」と軽く言って歩き出す。
その軽さが、昔から変わらない。
二人は並んで廊下へ出た。
話はほとんどない。
廊下を歩き、昇降口で靴を履き替え、校門を出る。
夕方の風は少し冷たかった。
信号が赤になる。
足を止める。
車が何台か通り過ぎる。
蓮司は自販機で缶コーヒーを一本買い、プルタブを開けた。
小さな金属音だけが響く。
「そういえば」
何気ない声だった。
「屋上の日」
日下部は横目で蓮司を見る。
蓮司は道路の向こうを見たまま、缶を口元へ運ぶ。
「ちゃんと間に合ったな」
その言葉に、日下部は少しだけ眉を寄せた。
「……何が」
「屋上」
「ああ」
短く返す。
「危なかったじゃん」
「そうだな」
青信号になる。
二人は歩き出した。
数歩。
蓮司が、独り言みたいに続ける。
「行ってよかったな」
「……お前が連絡してきたからな」
自然に出た言葉だった。
考えて返したわけじゃない。
あの日を思い返せば、それが一番最初に浮かんだから。
蓮司は少しだけ首を傾けた。
「したっけ」
「しただろ」
「何て?」
日下部は答えようとする。
口を開きかけて、止まる。
思い出せる。
通知が来たことも。
画面を開いたことも。
急いで歩き出したことも。
なのに。
肝心の文面だけが、霧でもかかったように曖昧だった。
「……上、見てきて、だったか」
「ふーん」
蓮司はそれ以上何も言わない。
否定もしない。
肯定もしない。
ただ缶コーヒーを一口飲む。
その沈黙が、妙に長く感じた。
「何だよ」
日下部が言う。
蓮司は笑った。
「いや」
少し歩いてから、
ぽつりと続ける。
「ちゃんと行ったじゃん」
日下部の足が、一瞬だけ止まりかける。
“ちゃんと”
その一言だけが耳に残った。
「……頼まれたからだろ」
「うん」
蓮司はあっさり頷く。
「日下部って頼まれると断らないよな」
「そうか?」
「昔から」
それだけだった。
話はそこで終わったように見えた。
風が吹く。
信号を渡り切り、二人は住宅街へ入る。
しばらく無言が続く。
日下部は何気なくポケットからスマホを取り出した。
画面は暗いまま。
あの日の通知を見返すつもりではなかった。
けれど、頭のどこかで同じことを考えている自分に気づく。
(……何で、俺はあの時、すぐ屋上へ向かった)
「上を見てきて」
そんな一言だけで。
何も疑わず。
迷いもせず。
まるで最初から行くことが決まっていたみたいに。
「日下部」
蓮司の声で顔を上げる。
「何ぼーっとしてんの」
「あ……悪い」
「疲れてる?」
「まあな」
「そっか」
それ以上、蓮司は何も言わない。
二人は次の角で別れた。
「じゃ」
「おう」
蓮司は手を軽く上げ、そのまま歩いていく。
日下部は背中を見送りながら、もう一度だけ思う。
(……考えすぎか)
そう結論づける。
あの日、自分が屋上へ向かったのは偶然だ。
蓮司に言われたから。
ただ、それだけ。
そう思うことにした。
蓮司は振り返ることなく、そのまま歩いていく。
どこか口元だけが、わずかに緩んでいるようにも見えた。
日下部はその場に立ったまま、スマホを握る。
画面を開くことはしなかった。
まだ、その必要はないと思っていた。
みぅ 。
コメント
1件
めっちゃ良かった……。日常の何気ない会話の裏に、めっちゃ重たいものが隠れてる感じがたまらん。「ちゃんと行ったじゃん」の蓮司の笑い方、絶対なんか知ってるよな。日下部が「考えすぎか」って自分に言い聞かせるところ、もう考えすぎじゃないと思うんだよなあ…。静かな夕方の空気感が染みた🔥