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ふぃる汰
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【あと11日】 消えた祭り
登場人物
水城レン
二十六歳。細身で、少し癖のある茶色の髪を耳の近くまで伸ばしている。瞳は濃い茶色。灰色の薄手ジャケットにベージュのシャツ、動きやすいパンツを着ている。古い資料を扱うとき、紙の端を指先で何度も確かめる癖がある。
秋庭教授
六十二歳。短く整えた灰色の髪と細い樹脂縁の眼鏡が特徴。背は低めで、茶色のカーディガンと灰色のシャツを着ている。資料に夢中になると眼鏡を鼻の近くまで下げ、紙へ顔を寄せて読む。
水原トキ
八十三歳。小柄で、柔らかく波打つ灰色の髪を短く整えている。黄緑の上着に茶色のパンツを合わせ、小さな布製の鞄を持っている。幼い頃に祭りを経験した、数少ない世代の一人。
◆
朝。
研究室へ入った水城レンは、机の上を見て足を止めた。
昨日まで十二冊あった資料は、十一冊になっていた。
一冊目は別の棚へ移されている。
文化抹殺計画。
祭事文化。
その記録を昨日一日かけて読んだ。
今日は二冊目。
机の中央に置かれた薄い資料束の表紙には、数字の「2」が印刷されていた。
レンは鞄を椅子へ置く。
端末を起動する。
画面の隅には、自分で設定した文字が残っていた。
あと十一日。
昨日は十二だった。
たった一つ数字が減っただけなのに、見え方が違う。
レンはしばらく数字を眺めた。
本当に十一日後なのか。
本当に巨大地震が起こるのか。
そもそも戸倉という老人は何者なのか。
昨日の時点では、どれにも答えが出ていない。
ただ一つ分かったことがある。
祭りは自然に消えたわけではない可能性が高い。
費用。
騒音。
混雑。
事故。
交通規制。
大量の古い記事や教育資料。
一つ一つに書かれた内容は、完全な作り話ではなかった。
だからこそ厄介だった。
レンは椅子へ座る。
「十一日」
声に出した。
研究室の奥から紙をめくる音がした。
秋庭教授がすでに来ていた。
短く整えた灰色の髪。
茶色のカーディガン。
細い樹脂縁の眼鏡を鼻の近くまで下げ、昨日の祭事資料を読んでいる。
「おはようございます」
「おはよう」
「早いですね」
「眠れなかった」
「俺もです」
教授が顔を上げる。
「地震が気になった?」
レンは首を横へ振った。
「祭りが気になりました」
教授の眉が少し上がった。
「そっちか」
「昨日の映像、帰ってからも頭に残ってて」
レンは端末を操作する。
昨日見た古い映像を呼び出した。
大勢の人間。
屋台。
太鼓。
踊り。
走り回る子ども。
声。
笑い。
現在の街では、ほとんど見ない密度だった。
教授が椅子を寄せる。
レンは再生した。
研究室に太鼓の音が響いた。
昨日より音量は下げてある。
それでも騒がしい。
映像の中では、人々が狭い道を埋め尽くしていた。
前へ進むだけでも時間がかかりそうだった。
ある男は食べ物を持ったまま立ち止まっている。
子どもは何かを指差している。
別の場所では、大勢が同じ方向へ身体を動かしている。
「やっぱり分からない」
レンが呟いた。
「何が?」
「何でこんなに集まるんです?」
「祭りだから」
「それ、答えになってませんよ」
教授が少し笑った。
レンは映像を止めた。
画面の中で、二十人ほどが笑っている。
誰かが面白いことを言ったようには見えない。
何かに成功したわけでもない。
報酬を得た様子もない。
ただ、その場所にいる。
「俺だったら帰ります」
「現在の君ならな」
「教授なら?」
「疲れそうだ」
「ですよね」
二人で画面を見る。
レンは一人の男性を拡大した。
額に汗をかいている。
手には食べ物。
その隣では子どもが飛び跳ねている。
「暑い」
別の場所を指す。
「混んでる」
さらに別の場所。
「待ってる」
また別の場所。
「うるさい」
教授が言った。
「昨日の資料と同じ見方になってるぞ」
レンの指が止まった。
「……あ」
費用。
騒音。
混雑。
事故。
交通規制。
昨日読んだ資料。
祭りを衰退させた記録。
レンは椅子の背へ身体を預けた。
「怖いな」
「何が?」
「一回そういう見方をすると、それしか見えなくなる」
教授は何も言わなかった。
レンは映像を最初まで戻した。
今度は別のものを探す。
笑っている。
食べている。
誰かと話している。
子どもを肩へ乗せている。
踊っている。
何かを運んでいる。
知らない人同士で声を合わせている。
「これ、何してるんです?」
「掛け声じゃないか」
「何のため?」
「知らん」
「意味は?」
「知らん」
「知らないこと多いですね」
「だから研究室にいる」
教授は二冊目を持ち上げた。
「今日はこれを読む日だ」
表紙を開く。
最初の頁には一行だけ書かれていた。
祭事文化調査。
参加理由追跡記録。
レンが身を乗り出す。
「昨日の続き?」
「らしい」
次の頁。
祭りへ参加した人々への古い聞き取り記録が並んでいた。
家族と毎年来ている。
友人に誘われた。
子どもの頃から参加している。
食べ物を楽しみにしている。
踊るのが好き。
地域の人に会える。
理由はない。
最後の一文で、レンが止まった。
「理由はない?」
教授もそこを見る。
「そう書いてあるな」
「理由なしで参加?」
「そうらしい」
「何時間も?」
「らしいな」
レンは理解できず、もう一度読む。
理由はない。
毎年来ているから来る。
その下にも似た回答があった。
祭りの日だから。
みんな行くから。
なんとなく楽しいから。
レンは指で文章をなぞった。
「なんとなく」
自分がベージュのシャツを選んだ理由と同じだった。
なんとなく。
役に立つからではない。
効率が良いからでもない。
必要だからでもない。
ただ選ぶ。
「教授」
「うん?」
「文化って、理由がないものなんですか」
教授はすぐには答えなかった。
眼鏡を外して机へ置く。
「理由があるものもある」
「じゃあ、これは?」
「理由を説明する必要がなかったんじゃないか」
レンは資料を見る。
祭りの日だから祭りへ行く。
音楽が好きだから聴く。
ゲームが好きだから遊ぶ。
服が好きだから選ぶ。
旅行したいから行く。
現在なら、その先を求められる。
なぜ?
何が得られる?
何時間必要?
費用は?
効果は?
「説明しなくてもよかった」
レンが呟いた。
「そういう時代だったのかもしれない」
二人はしばらく資料を読んだ。
午前九時四十七分。
二冊目の中ほどに、古い地図が挟まれていた。
レンが取り出す。
ある地方都市の地図。
街の中央に丸印がある。
祭事開催地。
現在の地名も記載されている。
レンは端末で検索した。
場所は残っていた。
研究室から列車で一時間半ほど。
現在は住宅区画と小さな公園になっている。
「行けますね」
教授が地図を見る。
「何しに?」
「祭りの跡」
「何もないぞ」
「何もないか確認しに」
教授はレンを見た。
「それは研究か?」
「無駄研究です」
教授が笑った。
「行くか」
二人は資料の複製を端末へ入れた。
原本は研究室の保管庫へ戻す。
外へ出る。
朝と変わらない街。
車両。
歩行者。
案内表示。
音は少ない。
駅へ向かう途中、レンは昨日まで気にも留めなかったものを見るようになっていた。
広場。
人が通り過ぎる。
店舗。
必要なものだけ並んでいる。
公園。
遊具は少ない。
掲示板。
生活情報。
どこにも、人を集めるためだけのものがない。
「教授」
「何だ」
「祭りって、今やったら人来ますかね」
「来ないだろう」
即答だった。
「ですよね」
「何をするのか理解できない人が多い」
「俺も昨日までそうでしたけど」
「今は理解した?」
「まだ全然」
駅へ入る。
列車に乗る。
乗客は静かだった。
会話する人はいるが、声は小さい。
誰かが歌っているわけでもない。
子どもが走り回っているわけでもない。
レンは窓へ顔を向けた。
街が流れていく。
途中で端末を取り出す。
祭りについて検索する。
歴史資料としての情報は大量に残っていた。
祭礼。
地域行事。
季節行事。
信仰。
商業。
観光。
どれも説明はある。
だが、映像の中の人々がなぜあれほど楽しそうなのかは書かれていない。
一時間半後。
二人は目的地へ到着した。
駅を出る。
現在の街は研究室周辺と大差なかった。
整った道路。
集合住宅。
生活用品店。
医療施設。
行政施設。
目的地までは徒歩十二分。
レンは地図を見ながら歩く。
「ここです」
小さな公園だった。
長方形の土地。
低い草。
椅子。
水飲み場。
数本の樹木。
人はいない。
レンは古い映像を開いた。
同じ場所。
画面の中には、人があふれている。
現在の公園と見比べる。
同じ場所とは思えなかった。
「あの辺に屋台」
レンが指差す。
「映像だと、あそこに太鼓」
教授も指す。
「こっちで踊ってる」
「現在は水飲み場ですね」
二人で公園の中央まで歩いた。
何もない。
風が草を揺らす。
レンは立ち止まった。
「静かですね」
「そうだな」
端末から祭りの映像を再生する。
太鼓。
人の声。
笑い声。
現在の公園に、過去の音だけが流れた。
レンは端末を持ったまま、ゆっくり周囲を見る。
不思議だった。
音があるだけで場所が違って見える。
「ここに何百人もいたんですよね」
「記録では最大四千人」
「四千?」
レンは公園を見渡した。
「入りませんよ」
「周辺道路まで使っていたらしい」
「邪魔じゃないですか」
「邪魔だっただろうな」
教授はさらりと言った。
レンが笑う。
「否定しないんですね」
「邪魔だったことと、価値があったことは両立する」
レンはその言葉を聞いて、映像を止めた。
邪魔。
でも価値がある。
現在の社会では、あまり一緒に扱われない考え方だった。
便利なら残す。
不便なら改善する。
役に立つなら維持する。
役に立たないなら削る。
「両立か」
レンは小さく言った。
公園の端に古い石段があった。
現在は使われていない。
二人で近づく。
端末の古い地図と照合する。
祭りの中心だった施設の入口が、かつてそこにあったらしい。
建物自体はすでにない。
レンは石段へ腰を下ろした。
教授も隣へ座る。
「ここまで来たのに、本当に何もないですね」
「だから言っただろ」
「でも、来てよかった」
「なぜ?」
レンは答えようとして、やめた。
理由がうまく出てこない。
なんとなく。
それでは研究報告にならない。
だが昨日読んだ資料には、その「なんとなく」が何度も出てきた。
レンは笑った。
「理由はないです」
教授が横を見る。
「文化に近づいてきたな」
そのときだった。
公園の入口に、一人の女性が立っていた。
小柄な高齢女性。
柔らかく波打つ灰色の髪。
黄緑の上着。
茶色のパンツ。
手には小さな布製の鞄。
女性はレンたちではなく、端末から流れていた映像を見ていた。
「今の」
細い声だった。
レンが立ち上がる。
「はい?」
「もう一度、流してくれる?」
レンは教授を見る。
教授が頷く。
映像を最初から再生する。
太鼓が鳴る。
女性の目が少し大きくなった。
画面へ近づく。
踊る人々。
屋台。
走る子ども。
女性は途中で口元へ手を当てた。
「これ……ここね」
レンが驚く。
「知ってるんですか?」
「小さい頃に来た」
教授が立ち上がった。
「祭りを?」
「ええ」
レンは女性の顔を見る。
文化が消える前を知る世代。
資料の中ではなく、実際に祭りへ行った人。
「お話、聞いてもいいですか」
女性は端末を見たままだった。
「何を?」
「祭りのことです」
「研究?」
「はい」
レンは研究員証を見せた。
女性はそれを見て、少し首を傾ける。
「まだ、そんな研究してる人がいるの」
「います。一応」
女性は小さく笑った。
「珍しい仕事ね」
三人で公園の椅子へ移動した。
女性は水原トキと名乗った。
八十三歳。
祭りが完全に消える少し前、幼い頃に何度か家族と参加したという。
レンは端末の記録を開始した。
「何をしていたか覚えてます?」
「いっぱい人がいた」
「それは映像でも分かります」
「食べ物もあった」
「何を食べたんです?」
トキは考える。
「覚えてない」
「踊りました?」
「たぶん」
「楽しかった?」
そこでトキが止まった。
レンも待つ。
トキは公園を見た。
「楽しかったと思う」
「思う?」
「昔だからね」
レンは少し困った。
もっと明確な証言を期待していた。
楽しかった。
これが好きだった。
こういう意味があった。
そんな答え。
「何で祭りに来てたんです?」
「親に連れられて」
「大人になってからは?」
「友達と来た」
「何のために?」
トキがレンを見る。
「何のため?」
「祭りへ来る目的です」
「祭りだからよ」
昨日の資料と同じ答えだった。
レンは身を乗り出す。
「それが分からないんです」
トキが笑った。
今度ははっきり笑った。
「分からない?」
「現在だと、目的もなく何千人も集まることってほとんどないので」
「そうなの」
「はい」
トキは公園を見回した。
「そうね。なくなったものね」
声が少し小さくなった。
レンは質問を続ける。
「祭りがなくなったとき、どう思いました?」
「最初は何とも」
「何とも?」
「来年やらないって聞いても、そうなんだって」
「寂しくなかった?」
「その頃には、もうあまり行ってなかったから」
レンは教授を見る。
教授は黙って聞いている。
「どうして行かなくなったんです?」
トキは考えた。
「面倒になったのかも」
「面倒?」
「人が多いでしょう。暑いし。歩くし。お金も使うし」
昨日の資料と同じ言葉が並ぶ。
レンの指が止まる。
「そういう話、当時よく聞きました?」
「聞いたわね」
「テレビとか?」
「テレビも。学校でも、祭りの日の交通について習った気がする」
「危険だとか?」
「それもあったかも」
「無駄だとか?」
トキは眉を寄せた。
「そこまでは覚えてない」
レンは質問を止めた。
自分が答えを誘導しかけていることに気付いた。
教授が代わりに尋ねる。
「祭りがなくなった後、何か困りましたか」
トキはすぐ首を横へ振った。
「何も」
「生活は?」
「変わらない」
「街は?」
「静かになった」
「それを良いと思いました?」
「最初はね」
「最初は?」
トキは公園の向こうを見る。
道路を一台の車両が通り過ぎる。
「何年かして、夏になったとき」
レンは黙って聞く。
「何か忘れてる気がしたの」
「忘れてる?」
「予定を忘れたみたいな感じ。でも予定なんてないの」
トキは自分の膝を軽く叩いた。
「昔なら、この時期になると、そろそろだなって思ってたのよ」
「祭りが?」
「たぶんね」
風が吹く。
樹木の葉が揺れる。
「なくなっても困らない。でも、なくなったら一年が平らになった感じがした」
レンは端末を見る。
記録中。
その言葉だけ、何度も頭に残った。
一年が平らになる。
「それ、どういう意味です?」
「分からない」
トキは笑った。
「あなた、何でも理由を聞くのね」
レンは言葉に詰まった。
教授が横で小さく笑っている。
「研究員なので」
「昔はね、夏になったら祭り。季節が変わったら別の行事。そういうので一年を覚えてたのかもしれない」
トキは両手を合わせる。
「今は日付を見るでしょう」
「はい」
「昔も見たけど、それだけじゃなかった」
レンは古い祭り映像を再び見る。
確かに日付が表示されている。
だが、映像の中の人々は日付を確認するために集まっているわけではない。
その日を、その日らしくするために集まっているように見えた。
「祭りって必要だったと思います?」
レンが聞いた。
トキは少し考える。
「必要ではないでしょうね」
予想外だった。
レンは顔を上げる。
「必要じゃない?」
「なくても生きられるもの」
トキは笑った。
「だから、なくなったんでしょう」
その言葉に、昨日の資料が重なる。
必要ではない。
なくても困らない。
だから削る。
レンは黙った。
トキは続ける。
「でもね」
「はい」
「必要じゃないものを全部なくしたら、何を楽しみにするの?」
レンは答えられなかった。
トキは立ち上がった。
「もう行くわ」
「ありがとうございます」
「役に立った?」
レンは少し考える。
「かなり」
「そう」
トキは布製の鞄を持つ。
数歩歩いてから振り返った。
「映像、もう一回見せて」
レンは端末を向けた。
祭りの映像。
トキはしばらく見た。
「ああ」
小さく声を漏らす。
「これ、覚えてる」
画面の端に、小さな屋台が映っていた。
「何です?」
「くじ」
「くじ?」
「当たりが出たら、何かもらえるの」
「欲しいものを普通に買えばいいんじゃ」
トキが声を出して笑った。
レンは黙る。
教授まで笑っている。
「何ですか」
「あなた、本当に今の人ね」
トキは笑いながら公園を出ていった。
レンはその背中を見送った。
「普通に買えばいいと思いません?」
教授が答える。
「思う」
「じゃあ何で笑うんです」
「君の言い方が面白かった」
「面白い?」
レンは自分の言葉を思い返す。
何も分からない。
教授は石段へ戻った。
「少し歩こう」
二人は古い祭りの経路をたどることにした。
地図を見る。
公園から商店のあった通り。
現在は住宅が並んでいる。
そこから川沿い。
昔は屋台が並んでいた。
現在は歩行者用道路。
さらに広場。
昔は踊りが行われていた。
現在は物流車両の待機場所。
一つずつ確認する。
祭りの痕跡は、ほとんど残っていない。
ただ場所だけがある。
道はある。
広場もある。
人も暮らしている。
それでも祭りはない。
建物を壊さなくても文化は消える。
物が残っていても、使う理由が消えれば終わる。
レンは歩きながら端末へ記録した。
祭りは施設ではない。
祭りは道具でもない。
人が集まり、決まった時期に同じ行為を繰り返すことで成立していた。
入力して、止まる。
少し違う気がした。
文章を消す。
もう一度入力する。
祭りは、人が集まる理由を作る文化だった可能性がある。
また止まる。
これも説明しすぎている。
レンは端末を閉じた。
「書けません」
「珍しいな」
「分かった気がすると、違う気がする」
「良い状態だ」
「研究って面倒ですね」
「今さら?」
午後四時。
二人は研究室へ戻った。
二冊目の資料を机へ広げる。
午前中に読めなかった後半。
そこには祭りが減少していく過程が記録されていた。
一年。
三年。
五年。
十年。
開催数が減る。
参加者が減る。
開催経験者が減る。
祭りを知っている子どもが減る。
やがて、
祭りを見たことがない世代が増える。
その世代へ、
祭りに参加したいか。
という質問が行われていた。
回答。
必要性を感じない。
混雑する理由が分からない。
費用を使う意味が分からない。
大勢で同じ行動をする意味が分からない。
レンは読み進める。
自分と同じだった。
「これ、俺じゃないですか」
教授が資料を見る。
「似ているな」
「くじも普通に買えばいいと思ったし」
「うん」
「祭りも何で集まるのか分からなかった」
「うん」
レンは頁をめくる。
最後の調査。
祭事文化を知らない世代への質問。
祭りを復活させたいと思うか。
希望する。
三パーセント。
希望しない。
六十二パーセント。
判断できない。
三十五パーセント。
その下に短い記述。
文化継承停止を確認。
実験段階終了。
レンは頁から手を離した。
「成功ってことですか」
教授は答えない。
「これを書いた人たちにとっては」
「そうだろう」
「誰も禁止してない」
「うん」
「誰も壊してない」
「うん」
「最後は、知らない人しかいなくなった」
教授がゆっくり頷いた。
レンは窓を見る。
夕方の街。
静かだった。
昨日までと同じ。
その静けさが、今日は違って見える。
レンは端末を開く。
今日の研究記録。
何を書けばいいのか迷う。
祭りは必要だった。
違う。
祭りは楽しかった。
それだけでもない。
祭りは人を集めた。
それも一部。
トキの言葉を思い出す。
なくなっても困らない。
でも、必要じゃないものを全部なくしたら、何を楽しみにするの?
レンは指を動かした。
祭りは生活に必要なかった。
そこで止めた。
次の一文。
それでも、人々は毎年そこへ行った。
また止める。
教授が向かい側から覗く。
「それでいいんじゃないか」
「研究記録として雑じゃないですか」
「今日は結論を出す日じゃない」
「じゃあ何の日です?」
教授は机の上の二冊目を閉じた。
「祭りがあったことを知る日だ」
レンは画面を見る。
あと十一日。
昨日より一日減った。
残りの資料は十冊。
レンは今日撮影した公園の映像と、百年以上前の祭り映像を並べた。
左。
現在。
静かな公園。
誰もいない。
右。
過去。
人。
声。
食べ物。
太鼓。
笑顔。
同じ場所。
同じ広さ。
同じ土地。
それなのに、まるで違う場所だった。
レンは過去の映像だけ再生する。
太鼓が鳴る。
研究室へ音が広がる。
教授は何も言わない。
レンも止めない。
しばらくして、映像の中で大勢が同じ掛け声を上げた。
意味は分からない。
何の役に立つのかも分からない。
それでもレンは、昨日とは違う見方をしていた。
うるさい。
混んでいる。
暑そう。
疲れそう。
全部、本当だ。
だが、それだけではなかった。
人々は翌年も来た。
その翌年も。
また次の年も。
必要だからではない。
そこへ行けば、いつもと違う一日になるから。
そうだったのかもしれない。
レンは窓の向こうを見る。
毎日似た景色。
毎日似た道。
毎日似た服。
毎日似た静けさ。
一年が平らになる。
トキの言葉が、ようやく少しだけ分かった気がした。
レンは端末へ一文だけ追加した。
祭りが消えたことで失われたのは、祭りの日だけではなかったのかもしれない。
保存。
教授が立ち上がる。
「帰るか」
「はい」
レンは二冊目を保管箱へ入れた。
昨日の一冊目。
今日の二冊目。
二つの記録が並ぶ。
残り十冊。
研究室の照明を落とす。
廊下へ出る前、レンは振り返った。
静かな研究室。
机の端末には、まだ文字が表示されている。
あと十一日。
明日になれば、十日になる。
その数字の先に何があるのかは分からない。
だが今日は、一つ分かった。
祭りは消えた。
なくても人々は生活できた。
街も動いた。
仕事も続いた。
食事もできた。
誰も生きることには困らなかった。
それでも。
レンは扉を閉める直前、研究室の奥に置かれた古い祭りの写真を見た。
大勢の人間が笑っている。
昨日は理解できなかった写真。
今日も、全部は理解できない。
ただ一つだけ。
どうしてこんなに無駄なことをしているのか。
昨日まで抱いていたその疑問は、少し形を変えていた。
どうして人は、こんなに無駄なことを楽しめたのだろう。
レンは扉を閉めた。
明日は、その答えとはまったく違う文化を調べることになる。
研究室の机には、三冊目の資料が待っていた。
その中に何が入っているのか。
まだ知らない。
あと十日になるまで、開かない。
廊下を歩く二人の足音だけが、静かな研究棟に響いていた。
コメント
1件
うわあ、めっちゃ沁みた……。祭りが「必要じゃないから消えた」って事実と、「必要じゃないものを全部なくしたら何を楽しむの?」ってトキさんの言葉が刺さりすぎる。レンが「理由はないです」って笑ったとこ、文化に近づいてる感じがしてじんわりきた。この静けさ、何かが足りないって気づく感覚、すごく分かる気がする。続きが気になるわ~🔥