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最近、泉のスケジュール表は急に色づき始めた。
雑誌の特集、ブランドのルック、配信番組のスチル。
どれも、かつては柳瀬だけが撮っていた範囲だ。
「……人気者になってきたじゃん」
事務所の打ち合わせ机越し、柳瀬が淡々と言う。
褒めているようで、どこか釘を打ち込むような声音。
「え、あ、でも……まだ俺なんか……」
「謙遜いらない。数字が出てる。
だから、他の撮影でも“呼ばれる”」
柳瀬の視線が、泉の頬を一瞬だけ射抜く。
それは、現場でレンズ越しに浴びせられるそれと似ていた。
――嬉しいはずなのに、どこか落ち着かない。
泉自身にも、原因はわかっていた。
柳瀬以外の人に撮られると、どうしても身体が構えてしまう。
求められる表情をつかめない。
指示のニュアンスが違う。
そして何より――柳瀬の声じゃない。
現場から戻ってきた泉を見て、柳瀬はいつもより少しだけ低い声で言った。
「ひとつ言っとく。
他のカメラマンに、同じ反応するな」
「……反応?」
「表情。呼吸。目つき。
俺が撮るときに出るやつを、他で使うなってこと」
泉は瞬間、呼吸を飲んだ。
嫉妬……とは違う。
しかし、独占に似た何かを感じた。
「べつに、お前を囲いたいわけじゃない。
人気が出るのは仕事として当然だし……利用価値が上がるのは歓迎だ」
“利用価値”。
その言葉は、妙に生々しく胸の奥に残った。
「でもな――」
柳瀬が近づく。
椅子にもたれる泉の肩へ手を置くのは、一瞬ためらったように見えて、実際には迷いなど一つもない動きだった。
「俺が使う時は、俺のものだ」
囁く距離。
泉の心臓が跳ねる。
独占じゃない。
束縛でもない。
ただ、柳瀬がそう“決めた”という宣告だけが、空気を震わせる。
泉は、返事ができなかった。
だめだ、この人に何を言われても、反論の仕方を忘れてしまう。
柳瀬の声が、喉の奥からすべてを掬い取ってしまう。
「……他の人の撮影、今日どうだった?」
さっきまでの圧を消すように、柳瀬は軽く問いかける。
けれど泉は、その切り替えにも振り回されてしまう。
「えっと……すごく丁寧で……優しい人でした」
嘘ではない。
だが言った瞬間、柳瀬の目がわずかに細くなる。
「へぇ。優しいね。
……じゃあ、俺のときより楽だった?」
「そ、そんな……!」
咄嗟に否定する。
それは自分でも驚くくらい即答だった。
柳瀬は、口角だけで笑った。
“わかってる”という顔だった。
「なら、いい。
お前の“いい顔”は、まだ全部こっちにある」
泉は、照明の当たらない場所で顔が熱くなるのを感じた。
どうしてだろう、仕事の話のはずなのに。
胸の奥に甘い針が刺さるみたいに、痛い。
「……がんばります」
それしか言えなかった。
「うん。
――俺のために、な」
泉は気づいた。
その“俺”が、仕事の“俺”なのか、個人としての“俺”なのか。
もう、判別できなくなっている。
柳瀬は机に置いていたスケジュール表を閉じながら、視線だけを泉に向けた。
「明日の撮影、朝イチ。
寝坊すんなよ」
「はい」
「……いい子」
その一言だけで、泉の背筋が震えた。
独占ではない。
でも――逃げられる気は、もうしなかった。