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木津が話し始めたのは、事務所の照明を一段落としたあとだった。
昼でも夜でもない、判断を誤る時間帯。
「昔の事件の話だ」
前置きはそれだけ。
真琴は相槌を打たなかった。
この人は、途中で遮られると、話をやめる。
「正式名称は残ってない。記録上は、別件の集合体だ。
連続失踪事件――そう呼ばれる前の話」
木津は机の端を指で叩いた。
癖だ。考えるとき、必ず同じ場所を叩く。
「当時、犯人は一人に集約された。
黒瀬恒一。証拠は揃っていたし、供述もあった」
玲が口を開く。
「じゃあ、有罪は妥当だった?」
木津はすぐに答えなかった。
「“破綻はなかった”
それが一番厄介なんだ」
真琴は、父の手帳の言葉を思い出す。
作られた静けさ。
「警察は、矛盾を探す。
でもこの事件は、探すほど整ってた」
整いすぎていた、と木津は言わなかった。
それを言ってしまうと、踏み込むことになる。
「その頃、俺の上にいたのが――久我だ」
初めて、はっきりと名前が出た。
空気が、わずかに変わる。
「捜査方針を決める人間だった。
優秀で、冷静で、評判も良かった」
真琴は気づく。
木津は、久我を貶していない。
評価を、崩していない。
「ただ、一つだけ異様だった」
木津は、ようやく真琴を見る。
「“迷わなかった”」
犯人を定めるときも、
証拠を積むときも、
切り捨てる可能性を決めるときも。
「冤罪かもしれない、って考えが
一度も出てこなかった」
玲が息を呑む。
「それって……」
「“出てこなかった”んじゃない。
出させなかった」
木津は、そこで言葉を切った。
「これ以上は、昔話じゃ済まない」
真琴は、父の手帳を思い浮かべながら言った。
「でも、あなたは今も覚えてる」
木津は否定しなかった。
「忘れられない事件は、
大体、正解じゃない」
照明の下で、
過去が、ようやく輪郭を持ち始めていた。