「……朝、目が覚めるとさ、まず”ああ、今日もあるんだ”って思う」
椅子に浅く座ったまま、少年は両手をだらんと下げて言った。
「教室の空気とか、誰かの視線とか……何もされなくても、もう全部怖い」
遥は少しだけ目を細めた。
「何もされてない、って言ったけど。本当はされてるんじゃない?」
少年は笑った。笑ってるのに、唇が震えていた。
「されてる。でも……言ったら、もっとひどくなるから」
遥は一瞬だけ、自分の首の後ろを無意識に触った。そこには、昨日ついた痣がまだ熱をもっていた。
――”お前が悪いから”って、家でも学校でも、同じ台詞を聞く。
笑ってやり過ごさないと、終わりじゃなくなる。
「俺もさ」遥が言った。
「毎日、消えたいって思ってる」
「……え」
「でも、消える勇気もないから、生きてる。生きてるっていうか……耐えてるだけ」
相談者の少年は黙って遥を見た。
遥は続けた。
「耐えるって、負けじゃないんだよ。負けたくないから、息してるんだ。……息してる間に、もしかしたら、終わる時が来るかもしれないだろ」
少年は下を向いたまま、小さく息を吐いた。
――その言葉が正しいなんて思えない。けど、嘘でもなかった。
「終わる時」が来るかもしれない――そう考えるだけで、明日の朝が少しだけマシになる気がした。
「……終わる時、なんて、本当に来るのかな」
少年がぼそっと言った。
遥は少し間を置いてから、息を吐く。
「わかんない。俺も……何回も裏切られてきた。終わると思ったら、また始まる」
――家でも、学校でも。
”安全”なんて場所、どこにもない。ドアを開けた瞬間に、笑顔の形した刃物がこっちを向いてる。
「それでも……まだ、終わってないから」
遥は、自分の手の甲の小さな切り傷を指でなぞった。昨日、机の端に押しつけられた時にできたものだ。
「終わってないってことは……まだ、奪われきってないってこと」
「奪われきってない……?」
「そう。笑い方とか、泣き方とか、好きなもんとか……ぜんぶ向こうに渡したら、本当に終わり。俺、まだ全部は渡してない」
言いながら、遥は自分に言い聞かせていた。渡さない、と。渡せない、と。
少年は少し首をかしげた。
「でも、俺、もうほとんど……」
「残ってるよ」遥が遮った。
「その”もうほとんど”って言える声が残ってる。全部なくなったら、声も出せない」
ふっと、部屋に沈黙が落ちる。
外の廊下からは、誰かの笑い声がかすかに響いてきた。
――あの笑い声、俺もよく知ってる。名前も、顔も。自分を踏みつけてくるときと同じ声色だ。
「……じゃあさ」少年が言う。
「残ってるうちは……何すればいい?」
遥は少し笑った。
「別に、何もしなくていい。呼吸して、目を閉じて、やり過ごす。……それだけでも、向こうに負けてない」
少年は、少しだけ肩の力を抜いた。
そして、遥もほんのわずか、息がしやすくなった気がした。
――どっちもまだ、地獄の中。でも、その一瞬だけは、ほんの少しだけ温度が上がった。