テラーノベル
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体育の時間、グラウンドに出た瞬間から空気が違うと分かる。
いつもの授業の延長じゃなくて、誰かが勝手にルールを決めて、その場を支配している時の空気で、教師は遠くにいて、見ているようで何も見ていない距離にいる。
「なあ、ゲームやろうぜ」
声が上がる。周りがすぐに乗る。内容は説明されないのに、笑いだけが先に広がる。
その時点で、もう参加か不参加かを選べる雰囲気じゃなくなっている。
「お前、今日それな」
指を向けられる。逃げ場はない。
「……何」
一応聞くが、答えはもう決まっている顔をしている。
「的。罰ゲーム役」
軽く言われる。軽いまま決定される。
「無理」
即答する。でも、その“無理”がどう扱われるかは、もう分かっている。
「は?」
一瞬で温度が落ちる。
「無理って何?」
距離が詰まる。周りも囲む。笑っていたやつらが、一歩だけ近づく。
「選べると思ってんの?」
その一言で終わる。言い返す余地が消える。
「ほら、四つん這い」
地面を指される。
「意味分かるよな?」
分かっている。でも動けない。動いたら負ける気がして、でも動かなくても終わるのは同じで、判断が遅れる。
その一瞬で、背中を蹴られる。
「早くしろよ、空気止めんな」
よろけて、膝が地面につく。砂が手に付く。ざらつきがやけに生々しい。
「遅えな」
笑いが落ちてくる。
「ほら、“お馬さん”だろ」
背中に重みが乗る。反射で体が沈む。思ったより重い。呼吸が一瞬で浅くなる。
「弱っ、ちゃんと支えろよ」
さらにもう一人。完全に潰される感覚。腕に負荷が集中する。
逃げたい、と思う。でも逃げたらどうなるかの方が先に浮かぶ。
「落ちたら分かってるよな?」
低い声で言われる。具体的な内容は言わない。言わないから、何でもあり得る。
「……落ちない」
自分でも分かるくらい弱い声で答える。
「じゃあ耐えろよ」
わざと揺らされる。バランスが崩れかける。腕にさらに力を入れる。
そのたびに、腹が圧迫される。呼吸が乱れる。
「顔やべえって」
笑いが上から降ってくる。
「死にそうじゃん」
周りで見ているやつらがスマホを向ける。逃げ場が完全に消える。
「なあ、こいつさ」
別の声。
「どこまで耐えられるかやろうぜ」
「いいね」
軽い合意。ゲームが更新される。
「時間計る?」
「落ちたらアウトな」
ルールが勝手に増える。
「アウトになったら?」
誰かがわざと聞く。
「罰ゲームに決まってんだろ」
笑い。
「まあ、今の時点でほぼアウトだけどな」
その一言で、さらに重みが増す。わざと体重をかけられる。
腕が震える。砂に指が食い込む。
やばい。ほんとに持たない。
でも降りてもらえない。
「なあ」
上から声。
「さっきさ、無理とか言ってたよな」
思い出させるみたいに。
「言える立場じゃねえのに」
言葉が刺さる。返せない。
「……降りて」
小さく言う。言ってしまう。
その瞬間、空気が変わる。
「は?」
重みがさらに増す。
「今なんつった?」
耳元で言われる。
「降りて、って?」
繰り返される。周りの笑いが止まる。
「命令してんの?」
言葉が出ない。
「誰に向かって?」
逃げ場がない。
「……ごめん」
反射で言う。
「それしか言えねえの?」
ため息混じりに言われる。
「ほんと中身ねえな」
笑いが戻る。でも軽くない。
「じゃあさ」
誰かが言う。
「そのまま進めよ」
意味が分からない一瞬のあと、背中のやつが体重を前にかける。
「歩け」
短い命令。
無理だと思う。でも動かないと、また何かが来る。
腕に力を入れて、一歩だけ動く。砂が滑る。バランスが崩れる。
「遅えよ」
蹴られる。体勢が崩れかける。
その瞬間、限界が来る。
体の奥で抑えていたものが、一気に崩れる。
止められないと分かった時には、もう遅い。
一瞬で分かる。終わった、と。
背中が軽くなる。降りられる。
距離が開く。でも、視線は全部残る。
「うわ」
誰かが笑う。
「マジでやった」
周りが一斉に反応する。
逃げたい。でも動けない。動いたら全部崩れる。
「きったねえな」
「マジで無理」
でも離れない。円はそのまま。
「なあ」
誰かが言う。
「これどうすんの?」
間。
「自分で片付けろよ」
当然みたいに言われる。
「人に迷惑かけんなカス」
言葉が落ちる。
カス。
その単語だけが、やけに残る。
「……わかった」
口が勝手に動く。
しゃがむ。砂に手をつける。
視線が上から降ってくる。
全部見られている。
「次からさ」
上から声。
「ちゃんと我慢しろよ」
笑い。
「空気壊すな、ゴミ」
その一言で締まる。
周りはすぐに戻る。普通に。何事もなかったみたいに。
ボールの音。走る音。笑い声。
さっきまでのことが、もう別の出来事みたいに流れていく。
遥だけが残る。
しゃがんだまま、手を動かしながら、頭の中で一つだけ繰り返す。
我慢しろ。
我慢しろ。
我慢しろ。
それができないから、こうなる。
コメント
1件
読み終えました……。この空気感、本当に息が苦しくなりました。最初の「空気が違う」という一文から、もう逃げ場のない閉塞感が始まっていて、読んでいる側も息が詰まるようでした。 特に「我慢しろ。それができないから、こうなる」という最後の内面の言葉が、胸に刺さりました。逃げたいのに逃げられない、でも自分を責めるしかない——その循環の描き方が、あまりにリアルで。ruruhaさんは、この「理不尽さを飲み込まされる側の心理」を、決して大げさにせず、淡々と、でも確実に描き切っていて、すごいと思いました。 読後、しばらく動けませんでした。重いけど、大切な話だと思います。