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展示室の空気は乾いていて、静かすぎた。硝子の向こうに古い制服、焦げた弁当箱、誰かの遺書。
教師がマイクを持ち、真面目な声で語っている。
「これは、戦争の犠牲になった子どもたちの遺品です。命の尊さを感じてください。誰かを傷つけることは、取り返しのつかない過ちです」
言葉は綺麗だった。
だが、その言葉が響くたび、遥の背中を押すように誰かの指が触れる。
押し返すことはできない。笑い声が小さく混ざっている。
教師は振り返らない。
展示の説明を続ける声だけが、部屋の中で反響していた。
「人間には、思いやりの心が必要です。分かりますね?」
その言葉の直後、後ろから小さな囁きが落ちた。
「……お前には、ないけどな」
結城の声だ。
その瞬間、周囲の数人が肩を震わせて笑う。
遥の足元に誰かのペットボトルが転がってくる。
中には泥と紙屑が混ざっていた。
「飲めよ。お前も“学んでる”んだろ?」
遥は目を伏せた。飲めば笑われ、拒めば殴られる。
そのどちらを選んでも、彼らにとっては「教材」だ。
教師は、ちらりと視線を送った。
しかし止めるどころか、うなずいたように見えた。
「彼は今、“命の尊さ”を感じている最中なんです」
そう言って、別の展示へと案内を続ける。
ガラスの向こうで、写真が並んでいた。
焼け跡、瓦礫、泣いている子どもたち。
その前に立たされた遥の背に、突然、拳が当たった。
一瞬、息が詰まる。
それでも、声を上げたら終わりだとわかっている。
「どうだ、怖いか? お前なら分かるよな。戦争って、こういうもんだ」
「教師も言ってたろ。“誰かを傷つけるのは悪いこと”って」
「じゃあ今、お前は“悪いこと”されてる。感じろよ、命の重さを」
笑いが連鎖する。
結城がスマホを構え、録画ボタンを押す。
フラッシュが光り、遥の顔が一瞬だけ白く照らされる。
「ほら、“記録”だよ。学びの証拠」
「“平和教育”ってこういうことだろ、先生?」
教師は振り向きもせず、展示の説明を続けている。
「この子どもたちは、誰にも助けてもらえませんでした……」
その言葉が、皮肉の刃のように響いた。
助けてくれないのは、今も同じだった。
結城が遥の肩を掴み、耳元でささやく。
声は笑っているのに、吐息は冷たい。
「うちの弟と関わんな。次見たら、本当に終わりにしてやるから」
遥の唇が震える。
言葉を返そうとするが、喉の奥が硬く閉じた。
結城の手が離れると同時に、背後から小さく足が出る。
背中を蹴られ、遥の身体が展示のガラスにぶつかる。
鈍い音が響いたが、教師はその音を無視した。
「はい、次の部屋に行きます」
クラス全員が動き出す。
誰も、遅れて立ち上がる遥を見ようとしない。
足元に転がったペットボトルの中で、泥水がゆっくりと揺れた。
遥はそれを拾わず、手を震わせたまま立ち上がる。
展示の硝子越しに映る自分の顔は、涙と汗でぐしゃぐしゃになっていた。
その顔を見ながら、彼は気づく。
――ここに並ぶ“誰か”と、自分の違いなんて、もうほとんどないのかもしれない。