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玄関の扉を閉めた瞬間、遥の身体はほんの少しだけ力を抜いた。
だが、その安らぎは長くは続かない。居間の電気が煌々とついている。
兄・晃司がソファに座り、こちらをじっと見つめていた。
「おい、どこ行ってたんだ、こんな時間まで」
声は低く、冷たく、遥の背筋を凍らせる。
まだ息の荒いまま、足を引きずりながら遥は答える。
「……帰ってきた……だけ」
声は小さい。嘘でもない、でも正直でもない。
晃司の視線は鋭く、容赦がない。
「ふーん、帰ってきた……だけ、か。随分と生意気だな、お前」
言葉の端々に軽蔑が混じる。
「その顔、どうした? 学校で何かあったんじゃねえのか?」
遥は視線を落とす。答えたくない。答えれば、叱られるか、身体を痛めつけられるか、どちらかだ。
そこへ、姉・沙耶香と怜央菜も加わる。
「やっと帰ってきたのね、こんな顔して……見てるだけで吐き気がするわ」
「ほんと、存在が不快だよね」
遥の心臓は痛む。身体もまだ重い。昨日の疲労が残っている。
晃司は立ち上がり、肩を掴んで引き寄せる。
「お前、ふざけんなよ。家に帰ってきて、なんでそんな顔してんだ」
言葉が痛みとなり、背中に突き刺さる。
沙耶香が続ける。
「何も言えないの? それとも、今日も言い訳するつもり?」
怜央菜も笑う。
「ま、どうせ何言っても無駄だけどね」
遥は小さく唇を震わせる。言葉を絞り出すのが精一杯だ。
「……痛く……ない……」
いや、痛い。心も、身体も、全てが痛い。
だが、声を上げればさらに叱責が増す。だから、言うしかないのは嘘の言葉。
晃司は冷たく鼻で笑う。
「そうか、痛くないって? じゃあ、今からもっとわからせてやる」
拳が腹や背中に叩きつけられる。沙耶香や怜央菜も加わり、罵倒の嵐が降る。
「お前、ほんとに生きてる価値あるの? 存在してるだけで迷惑なんだけど」
「泣くな、泣く顔見せるな。恥ずかしいぞ、みんなの前で泣けないなら」
遥は震え、目から涙が溢れた。
「……もう……やめて……」
声は小さい。だが、誰も手を止めない。
「やめろ? はは、何、甘えたこと言ってんの」
「お前の弱さが気持ち悪い」
「ほんと、雑魚のくせに存在してんじゃねえよ」
殴られ、蹴られ、罵られながら、遥は自分の身体の痛みと羞恥を必死で押し殺す。
心は何度も割れそうになり、息が荒くなる。
「……生きて……ちゃいけない……のかな……」
小さな声で、初めて自分の心の奥底の絶望を口にする。
だが兄弟たちは、そんな声さえ楽しむ。
「ほら、泣いてる泣いてる、可哀想に見えるよ」
「もっと苦しめ、泣き顔はみんなの娯楽なの」
「泣くのが嫌なら、もっと我慢できるように鍛えろよ」
遥は全身で震えながら、どうにもならない現実を受け入れるしかなかった。
誰も味方はいない。声を上げても、身体を守ろうとしても、全ては嘲笑と痛みに変わる。
小さく、震える呼吸だけが、この地獄の日常の中で残された唯一の痕跡だった。