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「久保田君!」
諒の姿を目にした彼女は嬉しそうな顔となって、私からぱっと手を離した。
彼は私たちの前までやって来ると、厳しい顔つきで彼女を見下ろした。その手を掴み、マンションから少し離れた所にある空地へと引っ張って行く。
確かにエントランス前で揉めていては目立つ。そのことを反省しつつ、この後の展開が気になった私は二人の後に着いて行く。
「俺にはもう関わらないでくれと言ったはずですよね。それなのに、またこんな風にやって来て……。いったい何なんですか!いい加減にしてください」
「あなたが好きだから、どうしても諦めきれないの。ねぇ久保田君、彼女がいないんなら、私と付き合って。お願いよ」
諒は深々と長いため息を吐き出した。彼女を見る彼の顔は嫌悪に満ちている。
「いったい何度同じことを言えば、あなたは理解できるんですかね」
「だって、こんなにあなたが好きなのに」
「何度そう言われても、俺はあなたとはお付き合いはしませんし、これから先だって好きになることは絶対にありません」
諒のきっぱりとした言葉に、彼女は表情を強張らせた。けれど、わずかな希望を求めようとしてか、縋るような目で諒を見上げる。
「どうして私じゃだめなの」
「どうしても」
「だから、どうして!」
「本当は言いたくなかったんですけどね……」
諒は肩を揺らして息を吐き出し、冷やかな目を彼女に向ける。
「その人に迷惑をかけたくないから黙っていただけで、付き合っている人がいるんですよ」
「う、嘘よ。私を諦めさせるための嘘なんでしょ?だって、久保田君のことを色んな人に聞いたりしたけど、誰もそんなことを言っていなかったもの。それが本当なら、どうしてもっと早く言わなかったのよ!」
「周りが知らなかったのは、特に聞かれたことがなかったから、話したことがなかっただけ。あなたに言わなかったのは、彼女を見つけ出して、何か嫌がらせでもするんじゃないかと思ったから」
彼女を見る諒の目は、いっそうひんやりと冷たい光を放っていた。
それでも彼女は諦めずに食い下がる。
「じゃ、じゃあ、本当に彼女がいるっていうなら、証明してみせてよ」
「証明、ですか……」
考え込む諒を見て、彼女は余裕を取り戻し、嬉々とした顔をする。
「やっぱり嘘なのね。だって、いないものは証明できないもの」
「別に、証明できないとは言っていませんよ」
「それなら今、ここで電話するなり、呼んでくるなりしてみせてよ」
「まったく面倒な人ですね。まぁ、それで諦めてくれるんなら、やむを得ないかな……」
二人の会話に耳を傾けていた私は驚いていた。この幼馴染に彼女がいたとは初耳だ。栞は知っていたのだろうか。二人して私に黙っていたのだろうか。
私にも教えてほしかったのにと、一人だけ仲間外れにされたようで寂しく思っていると、いつの間にか隣に諒がいて、いきなり私の肩を抱いた。
「な、何?」
諒の行動の意味と状況を理解できず、私は問うように彼を見上げた。
しかし、諒は私をさらに自分の方へと引き寄せ、彼女に告げる。
「俺の彼女はこいつですよ」
「えっ!」
「嘘よっ!」
私と彼女が声を上げたのは同時だった。
彼女に至っては、驚きの声を上げた直後に涙ぐみ、声を震わせる。
「そんなのは、この場しのぎの嘘に決まっているわっ」
「本当ですよ。な、瑞月?」
「え、あ、あの……」
私は口ごもりながら、諒を見た。彼女を諦めさせるために一芝居うとうとしているのだと悟ったが、私は彼女に「諒とはただの知り合いだ」と言ってしまっている。私たちが付き合っているという嘘を、彼女が信じるかどうか怪しい。
しかし、「早く頷け」と言わんばかりに、諒は私をじっと見つめている。
諒のためなら仕方がない。私は首を縦に振って、諒の嘘を肯定する。
「実は、そうなんです」
彼女の目がカッと見開かれた。
「だってあなた、これっぽちもそんなこと言わなかったじゃない。知り合いだとか無関係だとか言ってたわよね」
「そ、それは、彼に口留めされていたので……」
私は苦しい言い訳をした。
さらに追求されたらどうしようかとどきどきしたが、彼女はこんなことを言い出す。
「それなら、本当に付き合っているっていう証拠を見せてよ。そうねぇ、例えばキスなんてどうかしら」
言葉を失う私の肩をきゅっと抱き、諒は呆れたように苦笑する。
「他人に見せるようなものじゃありませんよ」
「あら?キスくらい簡単でしょ?それとも何かしら。実はそういう関係じゃないから、キスはできないということかしら?そうだとすれば、二人が付き合っているというのは、やっぱり嘘ということになるわね」
「まったく……。本当に困った人ですね。俺たちがキスしたら、こいつが俺の彼女だってことを認めて、今度こそ俺のことは諦めてくれるんですよね?」
「悔しいけれど……。その時はきっぱりと諦めてあげるわ」
彼女は唇を噛んだ。
諒はやれやれと言いたげに大きく息を吐き出し、私の頭の後ろにそっと手を回した。私にしか聞こえない程度の小声で耳打ちする。
「ごめんな」
本当にキスするのかと、改めて確かめる暇はなかった。はっとした時にはすでに、諒の唇が私の唇の上に重ねられていた。
混乱した私は、反射的に彼の胸を押し戻そうとした。
そんな私を宥めるように、あるいは彼女から私の姿を隠すかのように、諒はもう一方の腕で私の体を優しく抱き締めた。
唇が触れあっていた時間はほんの数秒程度のはずだったが、時間が止まってしまったかのように長く感じられた。呼吸に苦しさを感じた時、ようやく諒の唇が離れた。
諒は私の頭を自分の胸元へ引き寄せながら彼女に言う。
「これで分かってもらえましたよね?」
「そ、そんな軽いキスなら、相手が誰だってできるでしょ」
諒のくすりとした笑い声が頭の上で聞こえる。
「これ以上のキスなんて、あなたには刺激が強すぎると思いますよ」
諒の腕の中で見た彼女は、憎々しな目で私を睨みつけていた。
「とにかく、そういうことですから。俺のことは完全に諦めてください。それに俺、あなたのように派手な人は嫌いだし、そのギラギラした色の爪もそうだ。いかにも料理をしませんっていう感じ、生理的に受け付けないんですよね」
はっとした顔をして、彼女は自分の手を背中に隠した。
「……分かったわ」
彼女は力なくがくりとうな垂れて、のろのろと私たちの前から去って行った。
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白山小梅
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