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「久保田君!」
諒の姿を目にした彼女は嬉しそうな声をあげて、私からぱっと手を離した。
彼は私たちの前まで来ると、厳しい顔で彼女を見下ろした。その手を掴み、マンションから少し離れた所にある空地へと引っ張って行く。
確かにエントランス前で揉めていては目立つ。反省しながらもこの後の展開が気になって、私は少し離れて二人の後を着いて行った。
「俺にはもう関わらないでくれと言ったはずですよね。それなのに、またこんな風にやって来て……。いい加減にしてください」
「あなたが好きだから、どうしても諦めきれないの。ねぇ久保田君、彼女がいないんなら、私と付き合って。お願いよ」
諒は深々と長いため息を吐き出して、嫌悪に満ちた顔で彼女を見下ろした。
「いったい何度同じことを言えば、あなたは理解するんでしょうね」
「だって、こんなにあなたが好きなのに」
「何度そう言われても、俺はあなたとはお付き合いはしませんし、これから先だって好きになることは絶対にありません」
言われている当人ではなかったが、諒の辛辣な言葉に私の方がはらはらした。そっとうかがい見た彼女の表情も、さすがに強張って見える。泣き出したりしないかしらと心配になってしまった。
わずかな希望を求めてか、彼女は縋るような目で諒を見上げた。
「どうして私じゃだめなの」
「どうしても」
「だから、どうして!」
「本当は言いたくなかったんですけどね……」
諒は肩を揺らして息をつき、彼女を見下ろした。彼女を直視するその目はひどく冷ややかだ。
「その人に迷惑をかけたくなくて黙っていただけで、付き合っている人がいるんです」
「な、な……」
彼女は口をぱくぱくさせた。すぐには言葉が出なかったらしい。
「う、嘘よ。私を諦めさせるための嘘なんでしょ?だって、久保田君のことを色んな人に聞いたりしたけど、誰もそんなことを言っていなかったもの。それが本当なら、どうしてもっと早く言ってくれなかったのよ!」
「周りが知らなかったのは、特に聞かれたことがなかったから、話したことがなかっただけ。あなたに言わなかったのは、彼女を見つけ出して、何か嫌がらせでもするんじゃないかと思ったから」
彼女に向ける諒の目は、ますますひんやりと冷たい光を放っていた。
怖気づいた様子を見せながらも、彼女は声を振り絞る。
「じゃ、じゃあ、本当に彼女がいるっていうなら、証明してみせてよ」
「証明……」
諒は考え込んでいる。
そんな彼を見て、彼女は余裕を取り戻したようだ。嬉々として言う。
「やっぱり嘘なんでしょ。いないものは証明できないものね」
「証明できないとは言っていませんよ」
「それなら今、ここで電話するなり、呼んでくるなりしてみせて」
「面倒な人だ。それで諦めてくれるならやむを得ないか……」
私は二人の会話に驚いていた。
諒に彼女がいたなんて――。
栞は知っていたのだろうか。二人して私には黙っていたのだろうか。私にも教えてほしかったのにと、仲間外れにされたかのようで寂しい気持ちでいっぱいになった。
すると突然、諒が私の肩を抱いた。
その意味と状況を理解できず、私はおずおずと彼を見上げた。
彼は私をさらに自分の方へと引き寄せる。そして言った。
「こいつですよ。俺の彼女は」
私と彼女は同時に声を上げた。
「えっ!」
「嘘よっ!」
彼女の方は叫んだ直後にたちまち涙ぐみ、震える声で言う。
「そんなのは、この場しのぎの嘘に決まっているわっ」
しかし諒はきっぱりとした口調で告げる。
「いいえ。本当です。な、瑞月?」
「え、あの……」
急に話を振られて私は口ごもった。あれだけ「ただの知り合いだ」と連発したのだ。彼女が信じるわけがない。
だが『早く頷け』と言わんばかりに、諒の目は強い光を湛えて私を見つめている。
きっとこの場をやりすごすためだ。それなら仕方ない――。
やむを得ず自分自身を納得させて、私は諒の嘘を肯定するために首を縦に振る。
「実は、そうなんです」
彼女の目がカッと見開かれた。
「だってあなた、これっぽちもそんなこと言わなかったじゃない。知り合いだとか無関係だとか言ってたわよね」
「それは、彼に口留めされていて……」
自分でも苦しい言い訳だと分かっていた。さらに追求されたらどう返そうかと身構える。
しかし彼女はこう言った。
「それなら、本当に付き合っているっていう証拠を見せてよ。そうねぇ、例えばキスなんてどうかしら」
「えっ……」
私は言葉に詰まった。
諒は私の肩をきゅっと抱いて、苦笑する。
「わざわざ人前で見せるようなものじゃないでしょ」
「あら、キスくらい簡単でしょ?それとも何かしら。それすらもできないっていうこと?やっぱり怪しいわ。嘘ね」
「まったく……。本当に困った人ですね」
諒は呆れ顔を見せている。
「俺たちがキスしたら、本当に付き合ってるってことを認めて、今度こそ俺のことを諦めてくれるんですね?」
「悔しいけれど……。その時はきっぱり諦めるわよ」
彼女は唇を噛んだ。
諒は大きく息を吐き出してから、その手を私の頭の後ろにそっと回した。私にしか聞こえないほど小さな声で言う。
「ごめんな」
まさか本当にキスするの――?
そのことを確かめる間もないままに、諒の唇が私の唇の上に重ねられた。
私は混乱し、反射的に彼の胸を押し戻そうとした。
諒は私を宥めるように、あるいは彼女から私の姿を隠すようにして、もう一方の腕を私の体にそっと回した。
唇が触れあっていた時間は、ほんの数秒程度だったと思う。それなのに呼吸が苦しい。まるで時間が止まったかのようにひどく長く感じられた。
諒はゆっくりと唇を離した。そのまま私の頭を自分の胸元へ引き寄せてから、彼女に向き直った。
「これで分かってもらえましたよね?」
「そ、そんな軽いキスなら、相手が誰だってできるでしょ」
諒はくすりと笑う。
「これ以上のキスなんて、あなたには刺激が強すぎると思いますよ」
諒の腕の中、その隙間から見た彼女は、わなわなという表現が当てはまりそうな様子をしていた。私たちを凝視、いや正確には私を憎々し気に睨みつけている。
「とにかく、そういうことですから。俺のことはもう完全に諦めてください。それに俺、あなたのように派手な人は嫌いだし、そのギラギラした色の爪もそうだ。いかにも料理をしませんっていう感じ、生理的に受け付けないんですよね」
彼女ははっとした顔をして、自分の手を背中に隠す。
「……分かったわ」
彼女はがくりとうな垂れた。力が抜けたようなふらふらした足取りで、ようやく私と諒の前から去って行った。