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その日の夕方、花屋の裏口には古新聞の束とコピー用紙が山になっていた。ジョンナが図書室から借りてきた縮刷版を机いっぱいに広げ、オブラスが日付順に並べ替え、ノイシュタットが読みにくい見出しをいちいち声に出している。
店の奥には、切り花を冷やすための低い機械音が絶えず響いていた。外では秋の陽が早く落ち、朝風通りの店先に一つずつ灯りがともり始めている。
「二十年前、十月二十八日」
ジョンナが記事の端を指で押さえた。
「この日です。午後三時四十分ごろ、守森神社の裏山で小規模な土砂崩れ。山道の一部が塞がって、放送小屋からの誘導が続いた」
「でも記事は事故としか書いてない」
ハヤが覗き込む。
「そこが変なんです」
ジョンナは別の記事を横へ滑らせた。「こちらには祭り中止。こちらには安全管理の不備。こちらには責任者不在。けれど、避難誘導の詳細がほとんど載っていない」
オブラスが静かに言った。
「責任の押し付けで処理した方が、町には都合がよかったんだろうな」
その言葉は冷たく聞こえたけれど、数字を扱う人間なりの怒りも混じっていた。
古新聞の写真には、濡れた法被の人々、泥のついた石段、毛布をかぶった観光客が写っていた。けれど、その中に真柄蒼司の姿はなかった。名前だけが小さく載り、「関係者」とだけ書かれている。
「関係者って何よ」
アンネロスが苛立った声を出す。
「山で放送してた人でしょう。避難させた人でしょう」
「功労者とは書きにくかったんでしょうね」
ジョンナが言う。「祭り自体を終わらせたかった人も、当時はいたはずです」
ノイシュタットは紙面を眺めながら、低く吐き出した。
「町ってやつは、ときどき面倒な真実より、手頃な失敗者を選ぶ」
ハヤは、未送信の手紙の最後の一行を思い出していた。
間に合わなかったら、花は散らないと伝えてほしい。
それは自分の母宛ての言葉であり、同時に町に残すための合図でもあったのかもしれない。
ドゥシャンが、おそるおそる尋ねる。
「じゃあ真柄さん、逃げなかったの?」
「逃げなかったどころか、最後まで残った可能性が高いです」
ジョンナが答える。「この時間の気象記録だと、雨脚が強くなったのは三時半以降。小屋に残って放送していないと、山道の奥にいた人へ声が届かない」
エルドウィンが腕を組んだ。
「残る方が危ない場所だ」
「だからこそ、だろ」
ノイシュタットが言う。「誰かが残らないと、皆が動けない」
店の中に、しばらく紙をめくる音だけが続いた。
やがてハヤは、新聞の余白へ小さく書かれた町内メモに目を留めた。『花屋の娘、救護所で花の水を配る』。名前はない。けれどそれは、母のことだと分かった。
母も、そこにいたのだ。
真柄蒼司が放送を続け、母が救護所で動き、町は二人の名前を曖昧にしたまま、この二十年を過ごしてきた。
ハヤは新聞から顔を上げた。
「事故の日のこと、ちゃんと残さないと」
オブラスがうなずく。
「数字だけじゃ足りない。話として残す必要がある」
「嘘の実話祭りで、ですか」
ジョンナの問いに、ハヤははっきり答えた。
「うん。今度は、間違えない形で」
店の奥で、花を冷やす音が変わらず鳴っていた。
その静かな機械音の向こうに、二十年前の土砂の匂いと放送の声が、少しだけ重なった気がした。
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