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沙耶香は、少しだけ視線を落とした。
紙コップの中身は、もうほとんど残っていない。
「……ねえ、蓮司」
「何だ」
「もし、遥が死んでたらさ」
さっきと同じ言葉。
でも、今度は響きが違った。
「私たち――
どうなってたと思う?」
蓮司は即答しなかった。
それだけで、沙耶香は察した。
「“私たち”って言い方、嫌い?」
「いや」
蓮司は首を振る。
「正確だからな」
沙耶香は、薄く笑った。
「でしょ」
沈黙。
廊下の奥で、誰かがドアを閉める音がした。
「晃司も、怜央菜も、颯馬も」
沙耶香は、名前を一つずつ並べる。
「みんな、
“何も知らなかった兄姉”になる」
「……」
「私も、
“問題のある弟を抱えた可哀想な姉”」
蓮司は、目を逸らさない。
「都合いいな」
「うん」
沙耶香は即座に頷いた。
「びっくりするくらい」
彼女は壁にもたれ、天井を見上げる。
「小さい頃からさ。
遥が壊れてくの、ずっと見てた」
「見てただけ?」
蓮司の声は低い。
沙耶香は、少しだけ口角を上げた。
「……参加もした」
その言い方は、あまりにも軽かった。
「触らせたり、
言わせたり、
泣くまでやめなかったり」
詳細は語らない。
でも、十分すぎるほど伝わる。
「“家族だから”って言葉、便利だよね」
「逃げ道にも、武器にもなる」
「そう」
沙耶香は蓮司を見る。
「ねえ。
遥が飛び降りようとしたって聞いた時、
正直どう思った?」
「……」
「“あ、ここまで来たか”って思わなかった?」
蓮司は、少しだけ間を置いて答えた。
「思った」
沙耶香は、満足そうに頷く。
「だよね」
「でも」
蓮司は続ける。
「お前らが思ってるほど、
“予定通り”じゃない」
沙耶香の眉が、わずかに動いた。
「予定?」
「そうだ」
蓮司は言う。
「壊れるのは、
もっと前から決まってたかもしれない」
「……」
「でも、“死ぬ一線”を越えるかどうかは、
お前らの管理外だ」
その言葉に、沙耶香の表情が初めて揺れた。
「管理、って」
「そうだろ」
蓮司は淡々と続ける。
「生かすか、
壊すか、
でも“死なせない”」
「……」
「それがお前ら兄弟のやり方だ」
沙耶香は、しばらく黙っていた。
やがて、ぽつりと。
「……だから、焦った」
「何を」
「日下部が近くにいたって聞いた時」
蓮司の目が、細くなる。
「やっぱりな」
沙耶香は苦笑した。
「死なれたら困るのは、
遥じゃなくて、私たちだった」
「罪悪感?」
「違う」
即答だった。
「“説明できなくなる”から」
その言葉は、決定的だった。
「ねえ、蓮司」
沙耶香は一歩、近づく。
「日下部ってさ」
「……」
「邪魔?」
蓮司は答えない。
代わりに、低く言う。
「少なくとも、
“予定外”だ」
沙耶香は、その答えを噛みしめるように頷いた。
「じゃあ」
彼女は静かに言う。
「次、同じことが起きたら」
「……」
「今度は、
“間に合わない方がいい”?」
一瞬、沈黙。
蓮司は視線を逸らさず、答える。
「俺は、
“間に合うかどうか”しか考えてない」
沙耶香は、少し笑った。
「そういうとこ、好きだな」
その言葉には、好意も嫌悪も混じっていない。
ただ一つ、確かなのは――
二人とも、遥を“当事者”として見ていないということだった。