テラーノベル
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凛から電話がかかってきたのは、ロッカールームで帰り支度をしていた時だった。
「瑞月が泥酔してるって?」
これまでの彼女からは全く想像がつかなかった。本当のことなのかと疑問しか浮かばず、凛に訊き返してしまったほどだ。
彼は肯定し、そして付け加えた。
『栞ちゃんに電話したんだけど、全然つかまらなくてさ。わたしは店があるし、かといって瑞月ちゃんをこのままにもしておけないじゃない。そうなると、瑞月ちゃんのことを頼めるのは諒しかいないのよ。ねぇ、お願いできない?』
凛は俺の気持ちを知っているが、だからこそ、俺なら絶対に断らないだろうと分かっていながらの電話だと思われた。それはもちろん構わない。構わないのだが。
「でも、瑞月には彼氏がいるんだよな。俺が迎えに行くのはどうなんだろう」
すると凛は少し考え込むような間を置いた後、ぼそりと言ったのだ。
『たぶん。いえ、かなりの確率で、あれはダメになったわね』
「そう、なのか……」
破局した可能性があると聞いて喜びそうになり、慌てて声を暗くした。
凛のことだから、俺の心の動きなどお見通しだろう。しかし、親友は素知らぬふりを通して、いつもと変わらぬ口調で言う。
『とにかく、あんたが来るまではここで預かっておくから、できるだけ早く迎えに来てちょうだいね』
「分かったよ。どのみち間もなく出るところだったから」
俺はそそくさと電話を切り、ロッカーから手荷物を入れたリュックを取り出して肩にかけた。廊下に出てすぐ、同じ診療科の先輩に会う。
「あれ、久保田先生?これから帰るところ?」
「お疲れ様です。ちょっと事務書類がたまってしまっていたので、その整理をしていました」
「それはお疲れ様。ところでさ。ほら、なんて言ったっけ?医療事務のなんとかサービス。そこの人が、今日の午後の診療が終わった後、ナースとかに久保田先生のことをまた色々聞いていたみたいだぞ」
「私のこと?」
「うん。先生は今日は何時頃帰るのかとか、付き合ってる人はいるのかとか、趣味は何だとか、他にも色々。だけどみんな忙しいからね。適当にあしらわれてたみたいだったけど」
「そうですか……」
「久保田先生のファンなんだろうけど、ちょっとね。最近も色々あったじゃない?ちょっとストーカーじみたことがさ。先生の車のこととか、医局周辺の徘徊とかさ。絶対に気を付けた方がいいよ」
俺の車の周りをうろついていた彼女を目撃したのは、この先輩だった。
「色々とご心配頂いてありがとうございます」
「久保田先生みたいなイケメンはさ、さっさと身を固めちゃった方がいいよ。そうすれば、そういう面倒事とは縁が切れるんじゃない?」
「はぁ」
先輩は嫌味を言っているわけではないと思う。しかし「イケメン」などと言われて反応に困った。俺は首をすくめて苦笑する。
「頑張ります」
「それに、結婚っていいものだしね」
実感がこもっていると思ったのもそのはずだ。先輩は最近結婚したのだ。
「それじゃあね。あ、明日はお休みだったね」
「はい。申し訳ありませんが、よろしくお願いします。では私はこれで。お先に失礼します」
俺は先輩に挨拶し、急ぎ足で病院の外に出て自分の車に向かった。
凛の電話では、瑞月は泥酔しているということだった。恐らくは自力では歩けない状態なのだろう。背負うか抱きかかえるかの方法で、瑞月を運ぶことが予想された。できるだけ凛の店から近い場所に車を停めたいと思いながら、先を急ぐ。
繁華街の一角に到着した。俺の中で最有力候補のパーキングメーターを目指す。ラッキーなことに空いていた。俺は早速そこに車を停めた。
凛の店まで徒歩数分だ。店に入った途端、派手な衣装と化粧で着飾った『美女』風の者どもが、低い声で歓迎の言葉を口にする。
「あらぁ、センセ、いらっしゃい」
「いつ見てもイイ男だこと」
そんなに頻繁に来ているわけではないが、凛の友達ということで、彼女たちからは常連扱いされている。
凛が愉快そうに肩を揺らしさらりと告げる。
「彼は今日、飲みに来たんじゃないのよ。人を迎えに来てもらったの」
「あぁ、その子ね。なんなんですか?その酔っ払いとセンセの関係」
「野暮なことは言わないの」
「あらまぁ、なんだか妬けるんですけど」
賑やかな外野の声を聞きながら、俺は凛が待つカウンターに近づいて行った。
その片隅で瑞月がぐずぐずと泣いていた。
「おいおい、なんだよ、これ……」
俺は呆気に取られて幼馴染の横顔を眺めた。
「いったい何があったんだ」
「さぁね。ここに来た時にはもう、だいぶ酔っぱらっていたのよ。電話でちらっと言ったけど、彼氏とダメになってやけ酒をあおったって感じなんだと思う。瑞月ちゃんが来た時は、まだ開店したばかりで暇だったから良かったんだけど、そろそろお客さんが入り出す時間帯だから、どうしたものかと思っていたのよ。瑞月ちゃんがこんな状態になるのを見たのは初めてで、心配は心配なんだけど、お店を閉めるわけにもいかないし。かと言って、わたしの部屋に連れて帰ると言っても、同居人がいるからねぇ。栞ちゃんもつかまらなかったから、諒に電話したわけ。ねぇ、なんとかして連れて帰ってやってよ。車で来てんでしょ?」
俺は顔をしかめた。この状態の瑞月を連れて帰るのは、予想していた以上に苦労しそうだ。その時、瑞月が突然テーブルの上に突っ伏した。
「ついに潰れたみたいなんだけど……」
「あらあらあら……」
俺と凛は顔を見合わせて苦笑した。
「まったく仕方ないなぁ……」
ため息をつく俺に凛は念を押す。
「お願いできるわよね?」
「あぁ。そのために来たんだしな。じゃあ、行くか」
「ほら、瑞月ちゃん、帰るわよ。諒が送ってくれるって」
凛が瑞月に声をかけたが、反応はない。
「寝たのか」
「そのようねぇ」
「凛、手伝ってくれよ。瑞月の荷物を持って一緒に来てくれないか。すぐそこに車を停めたから」
「確かに一人では大変だわね」
「マンションに着く頃にはさすがに起きるだろ」
俺は凛に手伝わせて瑞月を背中に背負った。店が一階で良かったと思いながら外に出て、二人がかりで瑞月を車に乗せた。
「じゃ、瑞月ちゃんのこと、頼んだわよ」
「あぁ」
俺は凛に軽く手を挙げた。それからゆっくりと車を発進させて、瑞月のマンションに向かう。
彼女が住んでいるのは学生時代と同じ部屋だ。三階にあって、エレベーターがない。瑞月が起きればいいが、もし起きなかったら、または自力で歩けないほど泥酔しているとしたら、俺は苦行を強いられることになるのだろうかとふと思った。途端に気が滅入りそうになる。
しかし、それならばと一つの案が浮かんだ。最初から、エレベーターのある俺の部屋に連れて行けばいいのだ。空いている部屋があるし、予備の布団だってある。なんなら瑞月を俺のベッドに寝かせて、俺が他の部屋で寝ればいい。
「うん、それがいい」
俺は自分の名案に満足して、車の行く先を瑞月の部屋から自分のマンションへと変更した。
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