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本開催の前々日、花屋「花は散らない」の裏口には、朝から靴が十足以上並んでいた。いつもの店の仕事に加えて、祭りの最後の仕込みが一斉に重なったせいで、狭い裏口が小さな駅みたいになっている。
ジョンナは資料の束を抱えたまま、花屋の作業台へ町の地図を広げた。保管庫前、神社の石段、焼き菓子店の軒先、旧放送小屋の語りは映像ではなく朗読で差し込む。語り順をどこで笑い、どこで静けさへ寄せるか。紙には赤青の書き込みがびっしり増えている。
「最初に軽い笑いを三つ置きます。そのあと、真柄蒼司の話へ行く前に、アンネロスさんの語りを入れる」
「なぜそこに私?」
「甘い匂いのあとに泣かせる方が、涙が出やすいからです」
「司書が言うこと?」
アンネロスは呆れながらも納得した顔をした。
帳場ではオブラスが最終試算を出している。祭り当日の売上だけではなく、その後の定期注文、共同企画の受付、冬場の配達需要まで織り込んだ数字だ。紙面は地味なのに、そこへ乗っているのは、この数か月の足音そのものだった。
「採算ラインを越えるには、当日だけでなく翌月の予約転換が必要です」
「予約転換」
ハヤが復唱する。
「祭りで終わらせない、という意味です」
「分かりやすくて怖いですね」
「数字はだいたいそうです」
ハヤはうなずき、今度は花の演出表へ目を落とした。受付には明るい色、真柄蒼司の名誉を回復する語りの場には白と青、最後の告白実況中継には少しだけ甘い色を。供花のように静かすぎず、祝い花のように騒がしすぎない、その間を探る。
母の花ばさみでリストの端を切りそろえると、紙の線までまっすぐになった気がした。
ノイシュタットは、舞台装飾の最終案を壁へ貼っていた。以前ならもっと大きな看板や煽る言葉を置いただろう。だが今日の彼は、自分の案から派手なものをいくつも削っている。
「そこ、前は金色の帯がありましたよね」
ハヤが言うと、彼は肩をすくめた。
「町の声が主役の日に、演出が喋りすぎるのは野暮だ」
「やっと分かったんですか」
「やっと、ではない。美しく学習した」
ドゥシャンは神社から借りる長机の数を確認し、エルドウィンは搬入順を一本の紙へまとめ、ハルミネは名札の紐色と半被の色がぶつからないか最後まで見ていた。エフチキアは全員の動線表を張り出し、誰がどこで何をするかを一目で分かるようにしている。
誰も、自分の持ち場だけ見ていなかった。
夕方、守森神社の方から風が降りてきた。紙が一枚だけ舞い、ノイシュタットが素早く押さえる。
「ようやく同じ方向を見ている気がする」
ハヤが言う。
「遅いくらいだ」
オブラスは数字の紙から目を上げずに返した。
「でも、間に合いましたね」
ジョンナが続ける。
花屋の奥には、受付用の花、名札の箱、配布地図、釣り銭袋、雨具の予備まで、必要なものが順番に積み上がっていった。最後の仕込みは、華やかというより地味だ。けれど、この地味な整いがなければ、明日の賑わいはただの混乱で終わる。
ハヤは並んだ箱を見渡し、深く息を吸った。花と紙と木と焼き菓子の匂いが混じっている。どれか一つだけでは、この町の今の匂いにはならない。