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※書き直し。
放課後の空は、冬の終わりを告げるように鈍く沈んでいた。日下部は駅前の階段に立っていた。視線の先では、制服の違う少年が、缶ジュースを片手に無造作に座っている。
──颯馬。
中学生とは思えないほど落ち着いた仕草。
けれど、どこかに“危うい大人の影”が混ざっている。
「……お前、遥に何をしてる」
静かに言葉を落とす。
颯馬は目を細め、炭酸の泡をひと息に飲み干した。
「何ってさ、兄弟の時間だよ」
薄く笑い、缶を指先で転がす。
「家族ごっこ。あいつ、そういうの好きなんだよ。
痛いのとか、泣くのとか、さ。慣れてるくせに“やめて”とか言うんだぜ。滑稽だよな」
日下部の手がかすかに震えた。
だが、怒鳴らない。殴らない。
彼の目は、ただ颯馬の言葉の裏を見ていた。
「……お前、怜央菜から何か聞いたのか」
その名を出した瞬間、颯馬の笑みが一瞬だけ動いた。
挑発ではなく、確認のような表情。
「やっぱり知ってんだ」
ゆっくりと立ち上がり、数段上の階段を一歩ずつ上がってくる。
「怜央菜、言ってたよ。“お前、優しすぎる”って」
肩越しに見下ろしながら、声を低く落とした。
「優しい奴って、見ててムカつくんだよな。結局、何もできねぇくせに」
その瞬間、日下部の胸に焼けるような怒りが走った。
しかし──それは、殴りたい衝動ではなかった。
(……違う。怒っても意味がない)
日下部は気づいていた。
颯馬は「殴らせるため」に、ここにいる。
暴力を引き出し、それを“正当化の証拠”に変えるために。
沈黙。
風が通り抜け、駅のホームから電車の音が響いた。
「殴れよ」
颯馬が一歩、近づく。
「そうすりゃ、あいつ、また泣くぞ。
“俺が守ってやった”って顔すんの、笑えるんだ」
その声には、確かな憎悪よりも、歪んだ快楽の匂いがあった。
「殴る」という行為を“家族の言語”として使う癖が、彼の中に根づいている。
日下部は目を閉じ、息を整える。
殴れば負ける。
怒鳴れば、遥の沈黙を裏切る。
「……お前は、“あの家”で何を見てきた?」
静かな声。挑発ではない。問い。
颯馬の表情が、一瞬だけ止まる。
ほんの一瞬。
だがその揺らぎを、日下部は見逃さなかった。
(やっぱり……見てる。全部、見てるんだ)
「お前が痛めつけてるのは、遥だけじゃない。
自分もだろ」
颯馬は笑った。
しかし、その笑みにはどこか焦りが混ざっていた。
「なに勝手に分析してんだよ、先生気取りか?」
吐き捨てるように言い、日下部の胸倉を掴む。
だが、彼は微動だにしなかった。
「もし次、あいつに近づいたら――お前の目の前で、壊してやる」
耳元で囁く声。
熱と冷たさが入り混じった息。
颯馬はそのまま手を離し、階段を降りていった。
去っていく背中を、日下部は追わない。
拳は固く握られていたが、振るわれなかった。
殴ることよりも、今、確かに感じていた。
──“沈黙の意味”を見抜けるのは、自分しかいない。
痛みは言葉じゃない。
暴力の痕も、ただの証拠じゃない。
それは、崩れないために彼らが選んだ“生き方”だった。
壁に手をついたまま、日下部はゆっくり息を吐く。
(……あいつを守るって、こういうことなんだろうな)
夜風が吹き抜ける。
遠くで電車が去る音だけが、彼の沈黙を運んでいった。