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依頼人が帰ったあと、探偵社は一瞬だけ静かになった。
「……で」
最初に口を開いたのは燈だった。椅子にもたれ、腕を組んだまま天井を見る。
「三年前、殺人。逮捕。裁判。無罪。以上。
で、なんで“身辺調査”なんだ?」
「まあまあ」
真琴がにこっと笑う。
「依頼人は“気になる”って言ってたでしょ。納得できない、じゃなくて、気になる」
「一番信用ならねぇ理由」
燈が即座に返す。
「感情の後追い。厄介」
「でも依頼は依頼だよ」
玲が淡々と言った。机の上に資料を広げ、視線だけを落とす。
「事件そのものは、かなり整理されてる。
凶器なし。目撃証言は三人。時間帯も一致。
被告人は一貫して否認。自白なし。物証も弱い」
「つまり?」
真琴が首を傾ける。
「無罪は妥当」
玲は迷いなく言った。
「警察の詰め方も強引じゃない。検察の主張も無理があった。
感情を除けば、きれいな裁判」
「“きれい”ね」
澪が小さく笑った。机の端に座り、指先で紙を押さえながら。
「きれいすぎない?」
燈が眉をひそめる。
「どこが?」
「全部、整ってるところ」
澪はそれ以上言わなかった。ただ資料を一枚、裏返す。
「伊藤さんは?」
真琴が事務机の方を見る。
伊藤は黙ってファイルを揃えていた。背表紙を揃え、紙の端を軽く叩く。
「裁判記録としては、よくある」
低く、穏やかな声。
「無罪判決も珍しくない。
依頼人が“被害者家族じゃない”のも、別におかしくはない」
「じゃあ、やっぱり――」
燈が言いかける。
「“何もない”?」
伊藤は首を振らなかった。肯定もしない。
「“何もない”かどうかは、調べてからでいい」
真琴がぱっと明るく言った。
「じゃあ役割分担しよっか。
玲は裁判資料の整理。
燈は被告人の今。
澪は証言周り、気になるところだけ」
「俺、尾行?」
燈が少しだけ笑った。
「久しぶりだな」
「派手にやらないでね」
真琴が釘を刺す。
「目立つの嫌いでしょ、本人」
「目立たせるのは得意だ」
燈は立ち上がった。
「玲、気づいたことあったらすぐ言え」
「燈が気づかない程度のことなら」
玲は視線を上げずに返す。
「もう拾ってる」
「性格悪」
「事実」
澪は二人のやり取りを聞きながら、資料の余白に小さく印をつけた。
――証言、三人。
語尾の癖が、少し似ている。
でも、今は言わない。
「じゃ、動こっか」
真琴が手を叩いた。
「“無罪は妥当”かどうか、
それを確認するだけ」
伊藤は最後にファイルを棚に戻し、鍵をかけた。
その動きは、いつも通り、丁寧だった。