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蛍光灯の白い光が、並べられた机の上に冷たく落ちていた。教室の真ん中で、遥はうずくまるように額を机に押しつけ、動かない。背中が小刻みに震えているのが、日下部の視界の端に映った。
(……何も言わねぇのか)
日下部の胸の奥で、言いようのない苛立ちがじわじわと膨らむ。わかっている。頭では理解している。あいつは脅されて、追い詰められて、仕方なく口を割ったのだ。遥がどれだけ必死に庇おうとしていたか、それも全部知っている。何度も見てきた光景だ。俺を守るために土下座をし、声を震わせながら「やめてくれ」と頭を下げる姿を。
けれど、今は――違った。
「日下部んちってDV家庭なんだろ?」
「親に殴られて泣いてんのか?」
「うけるー!」
笑い声が飛び交う。日下部は唇を噛んだ。血の味が口いっぱいに広がる。胃の奥がぐらぐらと煮え立つように熱い。羞恥、屈辱、そして胸をえぐるのは――“裏切られた”という感覚だった。
(俺を守るためだって? そんなの、わかってる……わかってるはずなのに)
拳を握りしめる。爪が掌に食い込んで血がにじむ。わかっているのに、どうしても許せなかった。なぜ、言ったんだ。なぜ、沈黙を貫かなかったんだ。俺たちは一緒に地獄を味わうはずだった。俺はそれを覚悟していた。それなのに――
遥の沈黙は、余計に心を追い詰めていく。謝罪も、言い訳もない。ただ俯いたまま、震えているだけ。その姿が「罪悪感」に見える一方で、日下部には「開き直り」にも思えた。
「親友に売られるとか、マジで終わってんな」
「なぁ日下部、どうすんの? 信じてたやつに裏切られてさ」
煽りの声が耳を刺す。頭の奥でその言葉が反響し続ける。
――裏切られた。裏切られた。裏切られた。
視界の端で、遥の唇がわずかに動いた。けれど声にはならなかった。嗚咽が喉の奥で詰まり、ただ肩だけが震えている。日下部はそれを見て、胸の奥で叫びたくなった。
(言えよ……なんか言えよ! 守りたかったとか、仕方なかったとか、謝罪でも何でもいい……!)
だが遥は何も言わなかった。黙ったまま、机に額を押しつけ、震える背中を晒すだけ。その沈黙が、日下部の胸をさらに抉る。
――もし本当に守る気があったなら。俺と一緒に沈んだはずだ。沈黙を貫いて、俺と地獄を分け合ったはずだ。
けれど遥は言った。俺の秘密を、自分の口から。
「……ふざけんな……」
唇の奥から漏れた声は、誰にも届かなかった。笑い声にかき消され、空気の中に散っていく。心臓が早鐘を打ち、頭の中で真っ赤な衝動がうねった。殴り倒したい。叫びたい。その一方で、遥を見ればその衝動が現実になってしまう気がして、日下部は慌てて視線を逸らした。
遥の方を見られない。見れば、すべてを壊してしまうから。
「やっぱ友情とか嘘なんだな!」
「親友に売られるとか、ドラマみたいで最高!」
笑い声が遠くと近くで交錯する。頭の中で響くのは、その声と、自分自身の心臓の音だけだった。理解はしている。けれど感情はどうしても追いつかない。理解と感情が真っ二つに裂けて、日下部の胸をずたずたに引き裂いていく。
(俺は……もう、信じられない)
拳を握りしめたまま、日下部は深く俯いた。視線の先には、教室の床に落ちた自分の影が滲んでいた。