TellerNovel

テラーノベル

アプリでサクサク楽しめる

テラーノベル(Teller Novel)

タイトル、作家名、タグで検索

ストーリーを書く

シェアするシェアする
報告する

それから8年の月日が流れた。


真子は高校三年生の時に受けた手術により、普通の人と同じような生活を送れるようになっていた。

あの日手術を終えた真子は、一ヶ月後に高校へ復帰しすぐに受験準備へ入る。

そして翌年晴れて札幌芸術大学の学生となった。


大学の四年間は美術の勉強に勤しんだ。

1、2年では美術の基礎と共に、絵以外にも陶芸や染織等の工芸を学ぶ。

そして大学3、4年時に真子は染織を専攻した。

真子はその頃すっかり染織の魅力に引き込まれていた。


大学を卒業後は、しばらくは札幌のテキスタイルデザイン会社で働いていたが、業界の不況や感染症等の影響を受けて会社が閉

鎖となってしまう。

その後真子は大学時代の友人と一緒に、岩見沢市内に染織工房を立ち上げた。

この工房では『染』と『織』の両方を体験出来る教室を随時開催し、二人が自ら製作した商品の販売もしていた。


最初は細々と始めた物販だが、最近ネット販売もスタートした。

ここ近年の天然素材ブームの影響で、売り上げもまずまず順調だった。


真子と一緒に工房をやっているのは、浅沼美桜。

二人は大学一年の頃からの友人で、大学生活の四年間を共に過ごしてきた。


収入は決してまだ充分とは言えなかったが、質素に暮らせばなんとかなった。

何よりも好きな事を仕事にしているので、ストレスのない充実した日々を送っている。


この日も二人は、朝から工房で教室の準備をしていた。

そこで美桜が言った。


「真子、午後の教室は10人だよ」

「わかった。今日は草木染でストールだよね? 松ぼっくりは足りるかな?」

「この前いっぱい取って来たからまだあるよ。あ、あと、今日江藤先生が手伝いに来てくれるって」

「うわぁ、助かるー」


江藤という女性はこの近所に住む染織家の江藤秋子の事だった。

秋子は70代の女性で、以前東京の美大で染織の教授をしていた。

秋子は退職後岩見沢にある実家へ戻って来た。そしてその後、美大勤務時代の同僚で画家でもある江藤進一と結婚し二人で岩見

沢市内に住んでいる。


真子が秋子と知り合ったきっかけは、手術の時に世話になった看護師の瑠璃子からの紹介だった。

手術の後、真子は瑠璃子と市内で偶然ばったり会う事が何度も続いた。

そこから友人としての付き合いが始まる。


真子が美術系の大学へ進み染織を専攻した事を知ると、瑠璃子はすぐに秋子を紹介してくれた。

それからは瑠璃子を交えて三人で食事をしたり、秋子の家に招待されたりと親しくお付き合いさせてもらっている。


秋子は高齢なのにはつらつとしたとても素敵な女性だった。

常に前向きで、時には人生相談にも乗ってくれる。

若い真子にとって憧れの女性だった。


前の会社を辞めた後、友人の美桜と一緒にこの工房を立ち上げると秋子に話した時、秋子は応援すると言ってくれた。

そして力になれる事があれば何でも協力するからとも言ってくれた。

だから今では人手が足りない時には、こうして時々工房の講師をお願いしている。


工房の染織教室には、時々瑠璃子も参加してくれた。

瑠璃子は元々秋子に個人的に染織を教わっていたので、この工房にも定期的に参加してくれた。


瑠璃子は主に自宅に飾るタペストリーやテーブルクロスなどを製作している。

自分で作った作品を日常で使いながら楽しんでいるようだ。



午後になると秋子が工房へやって来た。


「こんにちは。今日もよろしくね」

「あ、秋子さんこんにちは。今日もよろしくお願いします」

「秋子さん、急に頼んですみませんでした」

「大丈夫よ。今日主人は札幌に出かけているからちょうど暇だったし」

「そう言っていただけると助かりますー」

「とりあえずお茶でもどうぞ」


真子は秋子の前にコーヒーを置いた。

秋子はそれを一口飲むと幸せそうに呟く。


「あー、人が淹れてくれるコーヒーは美味しいわねぇ」


そのしみじみした様子に美桜が笑いながら言った。


「何を言ってるんですか! 秋子さんの家はいつも優しいご主人が入れてくれるじゃないですかぁ」

「あらそうだったかしら? うふふ…」


秋子はわざとらしく笑う。

そんな愛嬌のある秋子は、教室でも大人気だった。


そして真子は、秋子に関するもう一つ好きなところがあった。


今でこそ秋子は元同僚である画家の江藤進一と結婚しているが、それまでずっと未婚だった。

秋子は長い間、既婚者である同僚の進一に対し片思いをしていた。

それは何十年もの期間に及ぶ。


その思いは絶対に相手には伝えない。

募る思いがあってもじっと耐え、あくまでも同僚として接し続けた。


そんなある日、進一が長い間連れ添った妻が病で亡くなる。

それは秋子が退職する10年前の事だった。


進一が独り身になっても秋子は思いを伝えなかった。

今伝えてしまったら、長年築き上げてきた同僚としての信頼関係を失ってしまうかもしれないからだ。


そして退職後、秋子は静かに東京を離れた。


岩見沢に来てまだ間もない頃、秋子は救急車で病院へ運ばれ緊急手術を受けた。

秋子が入院中、たまたま札幌を訪れていた進一が秋子の自宅へ寄った。

そこで秋子が入院している事を知る。


その再会をきっかけに、二人は常に一緒にいるようになり、その後進一は秋子との再婚を決意した。

そして結婚を機に進一も北海道へ移住して来た。


その話を秋子から聞いた時、真子は感激のあまり泣いてしまった。


なぜなら何十年も片思いを貫いた秋子のいじらしさに感動したからだ。

そしてここにもあの夜岸本医師が言っていた『岩見沢の奇跡』があったからだ。


やはり岩見沢は運命の再会の地なのかもしれない。


真子はそう信じている。


だから両親が東京へ帰る際、真子はこのままこの地へ残る決意をした。

すっかり健康になった真子の意志を尊重し、真子の両親は二人だけで東京へ帰って行った。


そして真子は今、この岩見沢市で一人暮らしをしていた。


真子はこの町で起きるであろうその『奇跡』を待ち続けてみよう…そう思っていた。

俺たちのエスキース

作品ページ作品ページ
次の話を読む

この作品はいかがでしたか?

89

コメント

1

ユーザー

大輔先生や瑠璃ちゃん、秋子さんの話を聞いてたら真子ちゃんは長い間待つことになるかも、と不安にならなかったのかな…? それ以上に"奇跡"を信じたってことなんだろうな🌠

チャット小説はテラーノベルアプリをインストール
テラーノベルのスクリーンショット
テラーノベル

電車の中でも寝る前のベッドの中でもサクサク快適に。
もっと読みたい!がどんどんみつかる。
「読んで」「書いて」毎日が楽しくなる小説アプリをダウンロードしよう。

Apple StoreGoogle Play Store
本棚

ホーム

本棚

検索

ストーリーを書く
本棚

通知

本棚

本棚