テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
次の週末、栞との約束通り、私は彼女と諒が住むマンションに向かった。まずはその近くのスーパーで栞と待ち合わせ、生鮮食品を中心に食材などを買う。スーパーを出てから十分ほど歩き、兄妹の部屋に着く。栞の後に続いて玄関に入ると、諒があくびをしながら出てきた。大学に入ってからの彼が実家に戻って来るのは盆や正月くらいだったため、以前のように頻繁に会うことはなくなっていた。およそ半年ぶりに顔を見る。
「久しぶりだな。元気だったか?栞が変なこと頼んで悪かったな。でも、ものすごく助かる」
「諒ちゃん、久しぶり。元気そうでよかった。私の料理でいいならいくらでも作るよ」
にこっと笑う私を見て、諒は目元を緩めた。
「それは楽しみだな」
「瑞月、上がって。そうだ、お兄ちゃん。言い忘れてたけど、今日は瑞月、うちに泊まるからね。間違っても変な気を起こさないでよ」
栞の言葉を聞いて、諒は鼻の頭にしわを寄せた。
「くだらないこと言うなよな。瑞月の母さんを敵に回す勇気、俺にはないよ。……でも布団って、余分に置いてあったか?」
「あるよ。と、ゆうか、お兄ちゃん。いくら瑞月の前だからって気を抜きすぎだよ。そんなだらしない恰好してないで、もうちょっとしゃんとして」
「うるさいな。自分の部屋なんだから、どんな格好でいたっていいだろ。瑞月、夕飯できたら呼んでよ。俺は自分の部屋にいるからさ」
「うん、分かった」
久しぶりに聞く二人の言い合いに懐かしさを覚え、私はくすくすと笑いながら頷いた。
栞の後に続いてキッチンに入り、私は持参してきたエプロンを身に着けた。買ってきた物をテーブルの上に広げながら訊ねる。
「諒ちゃんは、やっぱり勉強で忙しいの?」
諒は、私と栞とは別の大学の医学部に通っている。順調にいけば来年には研修医とやらになるはずだ。
「忙しそうではあるかな。でも、適当に息抜きしてるみたいだよ。友達に会ったり、あとはたまに合コンに駆り出されたり」
「諒ちゃんも合コンなんて行くんだ。そういうのは嫌いなタイプかと思っていたから、意外だなぁ。でもさ、医者の卵とか言うと、女子にモテそうだよね。それでなくても、諒ちゃんってイケメンだから」
「イケメンかどうかは分かんないけど」
栞はぷっと軽く吹き出す。
「合コンは彼女がほしくて行ってるわけじゃなくて、数合わせで仕方なく、みたいよ。断りにくくて面倒だって、ぼやいてたもの」
「そうなんだ」
お付き合いが色々あって大変なのかしらね――。
そんなことを思いながら、私は玉ねぎの皮をむき始める。野菜を洗い終えた栞に声をかけた。
「栞、お米といでくれる?」
「了解。ところで今日は何を作ってくれるの?」
「じゃあ問題ね。この材料でできるものといえば、なんでしょうか?」
「えぇと……。あ、カレーね!やった!瑞月が作るカレーって美味しいんだよね」
「別に普通のカレーだよ。簡単だから、栞も一緒に作ろうね」
「が、頑張ってみる」
苦笑いを浮かべる栞に、私はジャガイモの入った袋を差し出した。
カレーライスが出来上がり、トマトとアボガドのサラダ、卵スープ、オレンジも一緒にそれぞれの前に並べる。三人での食事はかなり久しぶりだ。嬉しさと懐かしさに胸がいっぱいになっている私に、諒が満足そうに言う。
「うまかった。ちゃんとニンジン抜いてくれてたし」
「出来上がってから、諒ちゃんのニンジン嫌い思い出しちゃった」
「でも、そのままにしなかったところが、やっぱり瑞月だよな」
「久しぶりにまともな食事したわ。瑞月、本当にありがとね」
「ところで栞から、毎週のように来てくれるって聞いたけど、それって、ほんとか?無理しなくていいんだぞ」
「でも、こんなに美味しい手料理を口にしちゃうと、ぜひまた食べさせて、って思っちゃうのは止められないなぁ」
幼馴染たちの言葉が嬉しくて頬が緩む。
「私も二人とこんな風に一緒にご飯できて、すごく嬉しいの。だから本当に、また来てもいい?」
「もちろんだよ!ね?お兄ちゃん」
「なんなら毎日でもいいくらいだ」
「いっそのこと、三人で住めたらいいのにね」
「さすがにそれは無理だろ」
「そうだよねぇ……。おばさんたちが許さないよね、きっと」
久しぶりに聞く兄妹の会話に、私はますます嬉しくなった。
「二人とも変わらないねぇ。なんだかほっとする」
「そういう瑞月も変わらないけどね」
にこにこ笑う栞の隣で、諒がぼそっとつぶやく。
「変わってほしいところもあるけどな」
「ん?お兄ちゃん、それ、誰のこと?」
「な、何でもないよ。さて、俺は風呂掃除でもしてくるか」
「よろしく。あたしはこっち、片づけるよ」
「私もやるよ」
立ち上がりかけた私を栞は笑顔で制した。
「瑞月はご飯を作ってくれたんだから、ゆっくりしていて」
「でも……」
「いいからいいから」
「じゃあ、そうさせてもらおうかな」
私は栞の言葉に甘えることにした。ソファに座ってテレビをつけると、料理のコンテスト番組をやっていた。興味がある内容だったからそれを見ることにする。番組をちゃんと見ようと思ったのは久しぶりだ。部屋にいる時は、一人の静かな時間が寂しくて、ただ適当にテレビをつけていただけだったからだ。
浴室から戻ってきた諒が私たちに声をかけた。
「風呂、準備できたぞ」
「お兄ちゃん、ありがと。瑞月、先に入ったら?」
「私は後でいいよ」
「それなら、お兄ちゃんは最後でいいよね?」
「どうぞ」
「それじゃあ、あたし、先に入って来ようっと。お兄ちゃん、瑞月にお茶でも出してあげて」
諒にそう言って、栞はキッチンを出ていった。
「何が飲みたい?と言っても、そんなに種類はないんだけど。コーヒー、紅茶、オレンジジュース、あとは炭酸くらいかな」
「じゃあ、炭酸ちょうだい」
「だったらグラスはこれだな。氷は二、三個で大丈夫か?」
言いながら諒はキッチンの中を甲斐甲斐しく動く。
その様子を見ていたら、ふと幼い頃のことが思い出されてつい笑みがこぼれた。
諒が怪訝な顔で振り返った。
「なんだよ」
私は諒の近くまで寄って行き、頬を緩めたまま言った。
「昔もさ、そんな感じでいつも私たちの面倒を見てくれてたな、って思い出したの」
「俺の見た目も中身も、その頃とあんまり変わってないって言いたいのか?」
「そういう意味じゃなくて、相変わらず優しいお兄ちゃんだなってことよ」
諒は苦笑を浮かべながら、グラスと炭酸飲料のペットボトルを私に手渡してよこす。
「一応ありがとうって言っとくか。自分で好きなだけ入れな」
「うん。ありがとう」
私はそれらを受け取って、泡がはじける透明な液体をグラスに注ぐ。中身が残ったペットボトルを冷蔵庫に戻そうとした時、諒がそれを私の手から取り上げた。
そのまま直に口をつけてごくりと喉の奥に流し込んでから、彼は言った。
「瑞月は大学生になって、好きなやつはできたりしたのか?」
「は?」
諒の唐突な質問に私は目を瞬かせた。入学してひと月足らず。やっと友達ができたという程度なのに、そんな人がいるわけがない。
そう答える私に諒は軽く眉根を寄せた。
「お前って、大事に育てられてただろ?高校はお嬢様学校だったし、塾には行ってなかったよな。学校以外で身近な男と言ったら、おじさん、うちの父さん、俺、あとは少し特殊だけど凛くらいじゃん。瑞月は世間知らずだから、変な男に引っ掛からないといいなって心配なんだよ」
私は思わず吹き出してしまった。
「諒ちゃんったら『お兄ちゃん』を通り越して、まるで『お父さん』みたい。しかも、うちのお母さんと同じようなこと言ってるし。あのね、地味な私がモテるわけないんだから、そんな心配はいらないよ」
諒は呆れたような目をしてため息をついた。
「そう思っているのは自分だけだってこと、少しは自覚しといた方がいいと思うけど」
私は首を傾げた。
「自覚?」
「そう、自覚。つまり、もう子ども扱いできないって思うくらい、すごく綺麗になったってこと」
私は目を瞬かせて、諒の顔をまじまじと見てしまう。
「いきなり何を言うのかと思ったら……。ものすごく恥ずかしいんだけど」
諒は笑いながら文句を言う。
「恥ずかしいって何だよ。褒めたんだけど」
「だって、諒ちゃんの口からそんな言葉が出るなんて、なんだかむず痒いっていうか、落ち着かないっていうか。……私、今夜、変なものは出していないよね」
「失礼なやつだな。せっかく珍しく褒めたっていうのに。とにかくだ。栞はあの通りお転婆だからあんまり心配していないけど、瑞月は……。どことなくぽうっとしてるし、色々と心配になるんだよな」
「諒ちゃん、今本当に『過保護な父』状態になってる……」
「なんとでも言ってくれ」
諒はふっと息をはきだして、昔よくやってくれたように私の頭を撫でる。
「もう子ども扱いできないって言わなかったっけ?」
ふくれっ面をして見上げたが、諒はただ笑みを浮かべて私を見ている。
「瑞月、お待たせ。お風呂空いたよ」
廊下の向こうから聞こえた栞の声に、諒ははっとしたように私の頭から手を離した。
「それ飲んだら、風呂、入ってきたら?」
「うん、そうする」
私は残りの炭酸を飲み干してグラスを片づけ、栞と入れ替わるようにして浴室へ向かった。