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白山小梅
76
妹の栞の大学入学が決まった。そしてその大学には、瑞月も通うことになっていた。
大学進学を目指して瑞月が勉強に励んでいたことは、たまの帰省で彼女と慌ただしく顔を合わせた時や、栞からの話で知っていた。だから瑞月から、希望していた大学への入学が決まったと連絡をもらった時はとても嬉しく、彼女がこの街に越してくる日が待ち遠しくてたまらなかった。
栞と瑞月が通う大学は、俺が通う大学と同じ街にある。瑞月が近くに住むとなれば、昔ほどではないにしても、離れていたこの数年間よりは多く、彼女に会えるようになるかもしれないと期待が募った。
三月の最後の週になって、栞が引っ越してきた。両親の強い意向により、俺たちは兄妹で一緒に住むことになっていた。
なんやかんやと時折揉めながらも一緒に暮らし始め、大学の入学式も終わり、しばらくたってからのことだ。
俺たちは改めて、自分たちの貧相な食事問題に向き合っていた。基本的にそれぞれが食べたい物を適当に買うか、適当に作るかしていたし、俺自身はすでにこういう食生活に慣れていたから、あまり困ってはいなかった。けれど、栞が音を上げてしまう。
「実家と瑞月の家のご飯が恋しすぎるよ。こんな食事ばっかりしてたら、体壊しちゃう。ねぇ、お兄ちゃんはこれまでいったいどうしてたのよ?」
「え?だからそれは、学食、コンビニ、適当に惣菜買ってとか。あとは、凛が割とよく遊びに来て飯を作ってくれてたからさ。そんな困るって程困ってなかった」
「凛ちゃん!そうか、その手があったか!」
料理が苦手と公言している栞はぱっと目を輝かせた。
しかし俺は、栞の希望を奪うようなことを口にする。
「凛はさ、最近あんまり邪魔できないんだよな」
「どうしてよ」
「どうもさ、いい人ができたらしいんだよ」
栞は軽く息を飲み、それから納得したような顔をして頬杖をついた。
「……なるほどね。そういうことなら、頼ったりしたらダメだよね。じゃあ、どうしよう……」
「俺は別に今のままでも問題ないぜ」
少しはお前が練習して作ってみればと言いかけて、急いでそれを飲み込んだ。ブーメランになって自分に飛んできたら大変だ。
「明るく楽しい大学生活が待っている!とか言って喜んでたけど、これはまさかの盲点だったなぁ」
栞はぶつぶつ言いながら、総菜のコロッケをつつく。
「コロッケかぁ。そう言えば、瑞月のコロッケも美味しかったよねぇ」
その名前を聞いて、俺は懐かしく思い出す。
「瑞月はお菓子作りも料理も、ほんと上手だったよな。そういえば、瑞月とはこっち来てから会ったのか?」
「メッセージはやり取りしてるけど、顔を合わせたのは引っ越し前だよ」
コロッケをごくりと飲み込んで、栞がにっと笑って俺を見た。
「あたし、今、ものすごくいいこと思いついちゃった」
「なんだよ、いいことって」
「あのね、瑞月にお願いしてみない?うちらにご飯作って、って」
「おまえ、それはいくらなんでも……」
さすがに図々しいんじゃないかと、俺は眉根を寄せて妹を見た。
「それだけの理由で思いついたわけじゃないよ。瑞月は一人暮らしでしょ?心細いんじゃないか、って思うんだよ。だからさ、時々ここで一緒にご飯食べたりしたら、寂しくないかなって思うの」
「なるほどな。確かに、それはあるかもな」
俺は栞の言葉に頷き、瑞月に会える正当な理由ができたことを心の中で密かに喜んだ。気を付けないと頬が緩んでしまいそうだ。
「でしょ?だからさ、誘ってみてもいいよね?」
栞は俺に確認する。
妹の提案を拒否する理由など、俺にあるわけがない。むしろ大歓迎だ。
「もちろんだ。お前が言うように、こうやって俺たちとよく会っているってことになれば、おばさんたちはもっと安心するかもしれない」
言いながら俺は、瑞月が一人暮らしをすることになった時のちょっとした騒動を思い出していた。
「だよね?よし、早速瑞月に連絡しなくちゃ!ね、その時はさ、食材費とかは全部うち持ちってことでいいよね」
「それは当然だろ。お願いするんだから。凛が作りに来てくれた時にもそうしてたぜ」
「決まりだね。あとは、瑞月が『うん』って言ってくれたらいいんだけど」
「そうだな」
ワクワクした様子の栞に笑いながら、俺も大きく頷いた。
瑞月に会ったのは、この前の正月だ。あの時はまだ高校生で化粧っ気のないつるりとした顔をしていたが、大学生になった瑞月はどんな姿をしているのだろう。変わっていないだろうか、それとも、などと今の彼女を想像して、どきどきした。
瑞月が俺たちのわがままを引き受けてくれたと栞から聞いたのは、その数日後だった。しかも早速この週末から、俺たちの部屋へ遊びに来るという。さすが仕事の早い妹だと感心しつつ、俺は落ち着かない気分でその日を待っていた。
いよいよその日がやって来た。
「そろそろかな」
俺は置時計に目をやった。栞が瑞月を伴って帰って来るのは間もなくだろう。俺はそわそわとリビングの中をうろついていた。
どのくらい時間がたったのか、玄関で物音がした。ドアの開く音だ。
早く瑞月の顔を見たいと気が急いて、つい小走りになりかけたが、苦笑しながら足を止めた。気を取り直し、改めてゆっくりとした足取りで玄関まで出て行った。
久しぶりに会う瑞月は綺麗になっていた。整えられた眉にやや大人びた印象を受ける。ふっくらとした唇は淡いピンク色に色づいていた。
俺の鼓動は高鳴り、今すぐ口づけたい、そしてその頬に触れたいとの衝動が起こった。しかし、何を馬鹿なことを考えているのかと、すぐさまそれらの不埒な考えを振り払う。
「久しぶりだな。元気だったか?」
俺は平静を装いながら瑞月に笑いかけた。
瑞月はにこりと笑い、俺に挨拶を返してよこす。
相変わらず愛らしい彼女の様子に口元が緩みかけた次の瞬間、栞の言葉で俺はすっと冷静になる。
「今日は瑞月、うちに泊まるからね。間違っても変な気を起こさないでよ」
聞いていないぞと焦った。その動揺を隠すために顔をしかめ、栞の最後の言葉にはくだらない心配をするなと苛立った。瑞月に嫌われるようなリスクを冒したくはない。
幼馴染の手料理を久しぶりに堪能し、満足した後、栞が風呂に行っている間の数十分、俺は瑞月と二人きりになった。自分の気持ちを彼女に悟られないようにしなければと思い、緊張した。しかし、彼女に好きな男ができたりしてはいないかと、そこはちゃっかりと探りを入れる。
瑞月は、好きな人はいないと言った。
それを聞いて、少しだけでも俺を男として意識してほしいと願った。
だから、すごく綺麗になった、などと言い慣れない言葉を口にしてみた。彼女に触れたい気持ちには勝てず、せめてこれくらいは許されるだろうと自分に言い訳をしつつ、瑞月の頭を撫でた。
それくらいのことで、瑞月が俺を意識するようになるとは思っていなかった。そして案の定と言おうか、瑞月にとっての俺はいまだに「幼馴染のお兄ちゃん」でしかないらしく、無邪気とも言える彼女の反応にがっかりしてしまう。
そこに風呂を終えた栞が戻ってきて、入れ違いで瑞月はリビングを出て行った。
俺はその背中を苦々しい思いで見送った。
コメント
1件
思いはなかなか通じないね😢