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放課後の相談室に来た相談者は、制服のまま椅子に座り、鞄を抱え込んでいた。
中学生らしい体格に、少し大きめのブレザー。
視線はずっと床を見ている。
「……何から話せばいいか、分からなくて」
相談者が言う。
声は小さいが、震えてはいない。むしろ、抑えすぎている。
遥は急かさない。
机の上に置いたメモ用紙に視線を落としたまま、静かに待つ。
「別に、いじめられてるとかじゃないんです」
その言葉は、言い訳のように早口だった。
「殴られるとか、無視されるとか、そういうのじゃない。
だから、相談するほどじゃないって思ってて」
一度、言葉が途切れる。
「でも……」
相談者は、鞄の持ち手を強く握った。
「学校、行くのしんどいです」
理由を聞かれていないのに、理由を探すような沈黙が落ちる。
「クラスでは普通です。
笑われてないし、話しかけられないわけでもない。
テストも平均くらいで、先生に怒られるほどじゃない」
遥は顔を上げる。
「“普通”だと思ってる?」
相談者は一瞬だけ迷ってから、頷いた。
「はい。
だから余計に、なんでこんなに疲れるのか分からなくて」
相談者は続ける。
「休み時間、何していいか分からないんです。
誰かの輪に入っても、邪魔してる気がして。
一人でいると、“ぼっち”って思われてそうで」
「どっちにいても、落ち着かない」
遥は低く言った。
「はい」
「あと……」
相談者は、少し声を落とした。
「家に帰っても、同じです」
遥の指が、わずかに止まる。
「何か言われるわけじゃない。
ちゃんとご飯も出るし、スマホもあるし」
言葉を選ぶ間。
「でも、なんか……
“文句言うなよ”って空気があって」
「何も言えなくなる」
遥は、静かに言葉を置いた。
「それ、結構きつい」
相談者は驚いたように顔を上げる。
「え……でも、殴られるわけでもないし」
「比べなくていい」
遥の声は淡々としていた。
「つらさは、音が大きいものだけじゃない」
相談者は、少し黙ったあと、ぽつりと言った。
「自分が甘えてる気がして」
「うん」
「もっと大変な人がいるのに、
自分は何もされてないのに、って」
遥は視線を逸らさず答える。
「“何もされてない”って言葉、よく使うけど」
「……」
「“何もない”状態が、一番しんどい人もいる」
相談者の喉が、小さく鳴った。
「頑張れって言われても、
何を頑張ればいいか分からないんです。
ちゃんとやってるつもりなのに、
楽しくもないし、達成感もない。
でもサボってるわけでもない」
遥は少しだけ間を置いた。
「それ、壊れかけのサインかもしれない」
相談者が目を見開く。
「壊れる前の、音がしない段階。
怒りも出ない。泣けもしない。
ただ、消耗していく」
「……じゃあ、どうしたらいいですか」
相談者の声は、さっきより弱かった。
遥は答えを急がない。
「まず、“ちゃんとした理由がないと相談しちゃいけない”って考えを捨てる」
「それから?」
「“普通”を基準にするのをやめる」
相談者は困った顔をする。
「でも……」
「“普通なのに苦しい”って感じてる時点で、その人の中では異常事態」
相談者は、ゆっくり息を吐いた。
「……俺、ここに来たのも、
大したことないって思ってた」
遥は静かに言う。
「来たってことは、もう限界に近い。
逃げでも、甘えでもない」
相談者は、目を伏せたまま小さく頷いた。
「……少し、楽になりました」
「それなら、今日は十分」
ドアの前で、相談者は立ち止まる。
「また、理由が分からないまま来てもいいですか」
遥は頷く。
「理由が見つかる前のほうが、大事なこともある」
相談者は、今度は少しだけ背筋を伸ばして部屋を出ていった。
遥は、誰もいなくなった相談室で、窓の外を見た。
“何もない”顔をして、今日も教室に戻っていく中学生たちの姿が、遠くに見える。