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蓮司の相談室2

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蓮司の相談室2

77 - 第77話 もう傷つかない代わりに、喜べなくなった

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2026年01月06日

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夕方の光が、相談室の窓に薄く残っていた。

昼と夜の境目みたいな、はっきりしない色。


ドアが二回、軽く叩かれる。


「開いてる」


入ってきた相談者は、表情が読みにくかった。

無表情というより、整いすぎている。


「座る?」

「どうも」


椅子に腰を下ろしても、背中はまっすぐだった。


「今日は?」


蓮司が聞くと、相談者は少し考えてから言った。


「……最近、何も感じなくなってきました」

「ほう」

「嫌なことが起きても、前ほど傷つかない」

「いいじゃん」

「はい。でも」

「“でも”が来るな」


相談者は小さく笑った。


「嬉しいことがあっても、同じです」


蓮司はペンを止める。


「楽しくない?」

「楽しいはずなんですけど」

「はず、か」

「頭では分かるんです。今のは喜ぶ場面だ、とか」

「マニュアル通りだな」

「でも、心がついてこない」


相談者は指先を見つめた。


「前は、もっと揺れてました」

「喜びも?」

「はい。落ち込むのも、舞い上がるのも」

「今は?」

「平坦です」


蓮司は椅子にもたれた。


「防御、完成したな」

「……やっぱりそう見えます?」

「完璧だ」

「褒められてます?」

「事実だ」


相談者は苦笑した。


「もう、傷つきたくなかったんです」

「だろうな」

「期待しなければ、裏切られない。

関わりすぎなければ、失わない。

感情を動かさなければ、安全」


蓮司は頷いた。


「正解だらけだ」

「なのに」


相談者の声が少し低くなる。


「生きてる感じがしなくなってきて」

「……」

「毎日、ちゃんと過ぎてるのに」

「ちゃんと、が怖いやつだ」


相談者は視線を上げる。


「これって、回復じゃないですよね」

「違うな」

「じゃあ何ですか」


蓮司は少し考えてから言った。


「停止」

「停止……」

「壊れないために、全部止めた」


相談者は黙り込む。


「なあ」


蓮司が続ける。


「傷つかなくなったって言ったな」

「はい」

「ほんとか?」

「……前ほど、じゃないですけど」

「それ」

「?」

「“傷”のセンサーを切っただけだ」


相談者の眉がわずかに動く。


「感じないふり、上手くなっただけだ」

「……」

「だから喜びも、引っかからない」


相談者は息を吐いた。


「戻れるんですか」

「何に?」

「前みたいに」


蓮司は首を振る。


「同じ場所には戻らない」

「……ですよね」

「でもな」


蓮司は机を指で軽く叩いた。


「別の動き方はできる」

「どうやって」

「いきなり“喜ぼう”とすんな」

「はい」

「防御したまま、ちょっとだけ触れる」


相談者は首をかしげる。


「例えば」

「楽しいはずの場面で、楽しくなくても、責めない」

「……」

「嬉しくなくても、“変だ”って言わない」

「……」

「何も感じない自分を、異常扱いしない」


相談者の肩が、ほんの少し下がった。


「防御はな」

「はい」

「生き延びるために作ったもんだ」

「……」

「役目が終わるまで、無理に壊すな」


しばらく沈黙が落ちる。


「でも」


相談者が小さく言う。


「このままだと、ずっと無のままな気がして」


蓮司は窓の外を一瞬見る。


「無はな」

「はい」

「永遠じゃない」

「……」

「感じない状態にも、限界が来る」


相談者は不安そうに見た。


「それ、危なくないですか」

「危ない」

「じゃあ」

「だから」


蓮司は視線を戻す。


「今は“安全に揺れる”練習だ」

「安全に?」

「全部じゃなくていい」

「……」

「一瞬、ちょっとだけ」


相談者はゆっくり頷いた。


「今日、何か感じた?」


蓮司が聞く。


「……正直」

「うん」

「ここに来たの、少しだけ面倒でした」

「はは」

「でも」

「でも?」

「話してるうちに、少し疲れました」


蓮司は微笑む。


「それだ」

「え」

「疲れるってことは、動いてる」


相談者は驚いた顔をしてから、静かに笑った。


「そういう見方もありますね」

「ある」


立ち上がる前、相談者が言った。


「まだ、喜べなくてもいいですか」

「いい」

「このままでも?」

「今はな」


相談者はドアの前で立ち止まる。


「……また来ます」

「防御、外さなくていいからな」

「分かりました」


ドアが閉まる。


夕方の光は、もうほとんど消えていた。

それでも、止まっていた空気は、少しだけ動いていた。

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