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相談室の窓は少しだけ開いていて、風がカーテンを揺らしていた。
そのせいか、部屋は静かなのに、どこか落ち着かない。
「失礼します」
軽い声だった。
入ってきた相談者は、笑顔を貼りつけたまま椅子に座る。
「今日は?」
蓮司が聞くと、相談者は肩をすくめた。
「怒れなくなりました」
「珍しく即答だな」
「もう、ずっとです」
「怒らないの?」
「怒らないです」
「腹立つことは?」
「あります」
「じゃあ溜め込んでる」
相談者は苦笑する。
「多分」
「多分じゃなくて、確実」
「ですよね」
相談者は指を絡める。
「昔は、もっとムッとしてました」
「今は?」
「何か言われても、先に自分を納得させるんです」
「どうやって」
「相手にも事情がある、とか」
「優等生だな」
「……怒ると、嫌われる気がして」
「来たな」
相談者は続ける。
「空気が悪くなるし
場が壊れるし
自分が悪者になる」
蓮司は頷く。
「怒り=悪、って刷り込まれてる」
「はい」
「でもな」
蓮司はペンを指で転がす。
「怒りって、もっと雑な感情だ」
「雑?」
「理屈の前に出てくるやつ」
「……」
「それを全部、頭で潰してる」
相談者は少し黙る。
「怒ると、後悔しません?」
「する」
「じゃあ」
「しない怒りもある」
相談者が顔を上げる。
「どういう」
「境界線を引くやつだ」
「境界線」
「ここから先は踏み込むな、ってやつ」
相談者は考え込む。
「でも、それ言ったら関係壊れません?」
「壊れる関係もある」
「……」
「でもな」
蓮司は淡々と言う。
「怒らないことで壊れる関係もある」
相談者の目が揺れる。
「自分がな」
「……」
「怒りを飲み込むたびに、少しずつ削れる」
「はい」
「それ、関係を守ってるようで」
「……」
「自分を置いていってるだけだ」
相談者は唇を噛んだ。
「怒ったら、嫌なやつになりそうで」
「もう一個、勘違いな」
「?」
「怒る=怒鳴る、じゃない」
「……あ」
「怒る=殴る、でもない」
「……」
「不快だ、困る、やめてほしい。
それ全部、怒りだ」
相談者はゆっくり息を吐く。
「そんな静かな怒り、許されます?」
「誰に?」
「周りに」
蓮司は首をかしげる。
「許可制だったか?」
「……」
「怒りは申請いらねぇ」
相談者は思わず笑った。
「言い方が雑ですね」
「雑でいい。 怒りなんて」
「はい」
「丁寧に扱いすぎると、腐る」
相談者は少し姿勢を崩した。
「怒れない自分、ダメですか」
「ダメじゃない」
「……」
「でも」
蓮司は続ける。
「そのままだと、怒りは別の形で出る」
「例えば」
「疲労、自己否定、無気力」
相談者は目を伏せる。
「……全部あります」
「だろ」
「じゃあ、どうすれば」
蓮司は少し考える。
「怒る練習」
「練習?」
「いきなり人にぶつけなくていい」
「……」
「頭の中で言えばいい」
「何を」
「嫌だった、ムカついた、本当は嫌だ」
相談者は小さく頷く。
「言葉にするだけで?」
「まずはな」
「それ、意味あります?」
「ある」
「怒りは」
「はい」
「感じてもらえないと、拗ねる」
相談者は苦笑した。
「感情も人間みたいですね」
「似たようなもんだ」
立ち上がる前、相談者が言う。
「怒れるようになったら、楽になりますか」
蓮司は少しだけ間を置く。
「楽、ではない」
「……」
「でも」
「でも?」
「自分がどこに立ってるかは、分かる」
相談者は静かに頷いた。
「それで十分です」
ドアが閉まる。
風でカーテンが揺れ、止まる。
境界線は、見えないままでも、確かにそこに引かれていた。