テラーノベル
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諒と凛が大学受験を目前に控えた冬のことだった。
栞がバレンタイン・デイ用のチョコを作りたいと言い出した。同じクラスの好きな男子に渡したいのだと言う。
受験生の諒の邪魔をしたくないと思い、彼らの家に行くことを控えていた時期だった。だから私の家でと思ったが、諒も久しぶりに会いたがっているからと栞は私を誘う。
「別にうるさくするわけじゃないし、うちで作ろうよ」
「……じゃあ、行こうかな。諒ちゃんの顔も見たいし」
こうして私は栞との約束の日、約束の時間に幼馴染たちの家を訪ねた。ドアチャイムを鳴らしてしばらく待っていると、ドアが開いて諒が顔を出した。彼とは何か月かぶりに会ったが、元気そうでほっとする。
「おう、久しぶりだな。栞と約束してるんだっけ?」
「うん。栞とチョコを作るの」
「チョコ?ふぅん……。ま、上がって」
「お邪魔します」
私は靴を脱いで上がり框に足を乗せた。
「栞、瑞月だぞ」
諒がキッチンの方へ声をかけた。
栞が嬉しそうに顔を出した。
「待ってたよ!」
私は栞に笑いかけ、それから諒に訊ねた。
「これから塾?」
「いや、今日はうちで勉強」
「そうなんだ」
諒の顔を見上げて、私はふと違和感を覚えた。
こんなに背が高かったかな……。
心の中だけでつぶやいたつもりが、実際には口から言葉が出てしまっていたようだ。諒が笑っている。
「成長期だからな。瑞月もまだまだ伸びそうだな」
「そう?」
「だって、おじさんもおばさんも身長あるじゃん」
「そういうもの?」
諒は私の頭の上にぽんと手を置いた。
「ま、小さいお前も可愛いけどね」
私は頬を膨らませて彼の手を払った。
「また子ども扱いする」
「中学生なんて子どもだろ」
「何年か後には、諒ちゃんの手が届かないくらい、いい女になってるんだからね」
「期待してる」
からかうようにくすくす笑う諒にむっとしているところに、栞の声が飛んできた。
「瑞月、早く来てよ。お兄ちゃんなんかと遊んでないで」
「今行くよ」
「栞、お前、チョコなんて作れるのか?」
「だから瑞月に来てもらったのよ。自慢じゃないけど、あたし、ほんとに苦手なんだもの」
「それなのに、よく作る気になったな」
「別にいいでしょ。仕方ないから、後でお兄ちゃんにも味見させてあげるよ」
「成功するように祈っててやる。――瑞月、料理下手の栞の手伝いなんか大変だろ?」
「そんなことないよ。楽しいよ」
「お兄ちゃんはさっさと部屋に戻って、勉強しなよ」
「邪魔者はさっさと消えるよ」
諒は肩をすくめて階段に向かう。ふと足を止めて振り返った。
「あとで何か飲み物でも持ってきてくれよ。その時、せっかくだからそのチョコも試食してやる」
「絶対に驚かせてやる」
「はいはい。じゃあな、瑞月」
「うん。勉強頑張ってね」
諒に向かって笑顔を見せていると、栞が痺れを切らしたように私を呼ぶ。
「早く始めようよ」
「今行くから」
私は諒の背中を見送ることなく、栞の急かす声にぱたぱたとキッチンに向かった。
テーブルの上には事前に準備を頼んでおいた材料や道具が並んでいる。
私は家から持ってきたパウンド型とドライフルーツの小袋を、紙袋の中から取り出した。
「さて、始めようか。ねぇ、栞。チョコとは別に、パウンドケーキも焼いていい?」
「もちろん!あたし、マーブル模様のがいいなぁ」
「いいよ。栞のチョコ用にココアがあるから、それを使おう。それじゃあ、まず初めに……」
栞に手順を伝えつつ、私自身はパウンドケーキを作り始めた。
「できた!」
栞の嬉しそうな声がキッチンに響いた。
お菓子作り初心者にしては、上手に手際よくでき上がったと思う。
「あとは、ラッピングして終わりね。それにしても、ほんとに初めて作ったの?すごくきれいにできてるよ」
「瑞月のおかげだよ。お茶でも飲みながら、味見しよう」
「いいの?」
「いいに決まってるでしょ。そのために少し多めに作ったんだもん。瑞月に食べてもらって、感想を聞かないとね。飲み物は紅茶でいい?」
「うん。じゃあ、パウンドケーキも一緒に味見しよう」
ケーキクーラーの上で冷ましておいたパウンドケーキの表面に、そっと触れてみた。粗熱が取れたようだ。本当は一日くらい置いた方がしっとりと落ち着くのだが、焼き立ても美味しい。そう言えばと、飲み物を持ってきてほしいと言っていた諒の言葉を思い出した。
お茶と一緒にこれも持って行ったら食べてくれるかな――。
そう思った時、栞に訊ねられた。
「瑞月は誰かにあげないの?バレンタイン・チョコ」
「お父さんと、凛ちゃんくらいかなぁ」
「うちのお兄ちゃんには?」
私は目を瞬かせた。
「諒ちゃんは毎年のようにたくさんもらってくるでしょ?食べきれないからって、私たちにまでくれるじゃない。そんな人にさらにあげたりするのは迷惑だろうし、第一それ以上いらないでしょ」
「お兄ちゃん、かわいそうだなぁ」
「どうして?」
「だって、可愛い幼馴染から、チョコをもらえないなんて」
「そんな大げさな……。だったら可愛い妹の栞があげればいいでしょ」
「だから味見させてあげるんだよ」
「味見って……」
苦笑する私に、栞は真顔になった。
「ねぇ、瑞月って、お兄ちゃんのこと、どう思ってる?」
「どうって……」
私は小首を傾げた。
「諒ちゃんは幼馴染で、栞のお兄ちゃんで、私にとってもお兄ちゃんみたいなものよ」
「それだけ?」
「それ以外に何かある?」
私はきょとんとして栞を見返した。どうして急にそんなことを言い出したのか謎だ。
栞は私の答えを聞いて、ため息をついた。
「なんだ、残念……」
「残念って何が?」
「なんでもない」
この話はもう終わりというように栞は首を振り、声を明るくした。
「さて、と、お茶だっけ?仕方ない、持っていってやるか」
「私が持って行ってあげるよ。栞のチョコ、味見してもらうんでしょ?このパウンドケーも一緒に味見してもらおうと思うの」
栞はくすっと笑った。
「瑞月が作ったものなら、美味しいって言うに決まってるよ。あたしのチョコの存在が霞んでしまうわ。――紅茶、今用意するね」
栞が用意した紅茶と、トリュフチョコとパウンドケーキを乗せた小皿をトレイに並べる。それを持って、私は慎重な足取りで階段を上って行った。
諒の部屋の前に着いて、私はドアを静かにノックした。少し待っていると、諒が顔を出す。私を見て微笑んだ。
「できたのか?」
「うん。栞のチョコと、私が作ったパウンドケーキ。食べたら後で感想教えてね。はい、これ」
トレイごと差し出す私に、諒は開けたドアを支えながら言う。
「そこのテーブルに置いてもらえる?」
「え、うん。お邪魔します……」
小さな頃にはよく入ったことのある部屋だが、彼が中学生になってからは立ち入ったことがない。思っていたよりもきれいに片付いていて、少し驚く。どちらかというと綺麗好きな方だったかしら、などと昔を思い出しながら、私はおずおずと足を踏み入れた。彼が目で示した小さなテーブルの上にトレイを置く。
「それじゃ、行くね」
「もう?味の感想は聞いていかなくていいのか?」
「後でいいよ」
「ちょうど休憩にしようと思っていたところなんだ。これを食べ終わるまででいいから、少し話し相手になってくれよ」
「でも、邪魔でしょ?」
「邪魔?そんなわけないだろ。たまには瑞月の話も色々聞きたい。学校のこととかさ」
「私の話なんて面白くもないけど……。それじゃあ、失礼します」
諒がぷっと吹き出した。
「ずいぶん固いなぁ。ついこの前までは、栞以上に俺の後をくっついて歩いていたくせに」
「この前って、ものすごく小さい時のことでしょ?さっきも言ったけど、私、もう子どもじゃないよ」
「でも、まだまだ大人じゃないだろ」
「諒ちゃんだってそうじゃない。まだ高校生なんだから」
「それはそうなんだけどさ」
諒はくすっと笑うと、テーブルを挟んで私の前に腰を下ろした。
「どれどれ。お、うまそう。焼きたて?瑞月が作ったのか?今うちで?」
「うん。本当は明日の方が、もっとおいしくなると思うんだけど。まだ残ってるから、おじさんとおばさんにも食べてもらってね」
「ありがとう。こっちは栞が作ったやつ?あいつ、ちゃんと作れたのか?」
「初めてとは思えないくらい、上手にできてたよ。なんかね、作ってあげたい人がいるみたいでね。すごく丁寧に真剣に頑張ってた。あ、今の話、私が言ったってことは、栞に絶対に内緒だよ」
「ふぅん……」
諒はぱくりとケーキにかぶりつきながら私を見た。
「……もしかして、美味しくなかった?」
彼の反応に不安になって表情を曇らせる私に、諒は首を横に振る。
「そうじゃなくて、すっごくうまい。この模様も綺麗にできてる。瑞月ってほんとすごい、と思って見てたんだよ」
真面目な顔で言われて私は照れた。
「全然すごくないよ。もしもそう見えるとしたら、凛ちゃんの教え方が上手だからよ」
「凛か……。確かに、あいつはすごいよ。うちの学校、男子も家庭科の授業があるんだけど、この前あいつの手際の良さに先生も驚いてた」
諒の言う凛の手際の良さが想像できて、私は笑う。
「凛ちゃんは私の先生だからね」
「そうだったな。……ところでさ、お前も誰かにチョコとかあげたりするわけ?」
栞にも同じことを訊かれたと可笑しくなる。
「お父さんと、あとは凛ちゃんに、かな」
「凛?俺には?」
不満そうな顔をする諒に私は目を瞬き、首を傾げた。
「凛ちゃんにはカムフラージュの意味があって渡してるの。自分で作るんじゃ味気ないって言うから。でも諒ちゃんは、私からなんて必要ないでしょ?毎年山のようにもらってくるし、彼女さんからだってもらうだろうから」
「彼女なんかいないよ」
「え、そうなの?」
私は目を瞬かせて諒の顔をまじまじと見た。
「意外」
「意外ってなんだよ。俺は俺で色々あって、そういう人を作ってる暇なんかないの」
「せっかくモテるのに、なんだか残念ねぇ……」
諒は私の顔をまじまじと見て、それから脱力したように大きなため息をついた。
「だから、不特定多数からもらうんなら、瑞月からほしいなと思ったんだよ」
「今までそんなこと言ったことないよね」
「それは、ほら。今日作るって知ったから」
「そんなに欲しいんなら、作るけど……」
「言ってみるもんだな」
諒は嬉しそうに笑い、ふと真顔になって言った。
「バレンタイン・デイって、好きな相手にチョコを渡す日だよな?瑞月はそういう相手、いないのか?」
「いないねぇ……」
「寂しいな」
「彼女のいない諒ちゃんからは言われたくないよ。それに、好きな人がいなくても別に何も困らないもの」
「そう言う人に限って、変な男を好きになったりしてな。せいぜい気をつけろよ」
「諒ちゃんこそ気を付けた方がいいんじゃない?モテすぎて色んな恨みを買ったりしないように」
本気ではない憎まれ口をたたきながら、私は空になった小皿を回収する。
「そろそろ戻るね」
立ち上がってドアに向かおうとして、途中で何かにつまずいた。バランスを崩して倒れかけた私を、諒の腕が慌てて抱き止める。その拍子に持っていた小皿が床に落ちた。
「気をつけろよ。びっくりするだろ」
「ご、ごめんね」
諒は苦笑を浮かべて昔の話を持ち出した。
「子どもの頃の瑞月はよく転んだり、足首を捻ったりしてたな」
「そうだったね。それでよく諒ちゃんのお父さんにお世話になってた」
私も苦笑で返してから、彼がまだ腕を離していないことに気づく。困った顔で彼を見上げた。
「諒ちゃん、もう大丈夫だよ?」
彼ははっとした様子で慌てて私から離れた。
「わ、悪い。とにかく、転ばなくて良かった」
「ありがとう」
私は落とした小皿を拾い上げ、諒に笑いかけた。
「私、行くね」
「もう行くのか」
諒は物足りなさそうな顔をした。しかし彼は受験生だ。
「これ以上ここにいたら、勉強の邪魔になっちゃうでしょ。諒ちゃんなら合格間違いなしだと思うけど、受験頑張ってね」
諒の表情が和らいだ。
「あぁ、頑張るよ。お菓子うまかった。ごちそう様。栞のもなかなかうまかった」
「言っておく。あ、チョコがほしいんだったね。特別に作ってあげる。大学の合格祝いとは別に」
「あぁ、楽しみにしてるよ」
彼がにこりと笑った時、階下から栞の声が聞こえてきた。
「瑞月ぃ!紅茶、淹れたよ!」
「はぁい!……じゃあ、またね」
「あぁ。あとは自分で片づけるから」
彼の部屋を出て階段を降りて行くと、栞が待っていた。私の顔を見て目を見開く。
「どうしたの、瑞月」
「何が?」
「なんだかにこにこしてる」
「そう?久々に諒ちゃんと喋れたからかな。お菓子も美味しいって」
「ふぅん?」
私をしげしげと見ていた栞だったが小さく苦笑し、私の手を引いてキッチンに戻る。
「お茶にしよう。瑞月のパウンドケーキ、あたしも早く食べたい」
栞の急かす声に、私は早速パウンドケーキを切り分けるべくナイフを手に取った。
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