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撮影後の車内は、夜の街灯だけが窓を流れていた。泉は後部座席に座り、ずっと落ち着かない。
今日の芝居は、なんとか最後のカットで取り戻した。だが、その裏で柳瀬の“触れ方”は、明らかに変わりつつある。
運転席に座る柳瀬が、バックミラー越しに言った。
「……視線が落ちてる」
「見てません」
「嘘だな。さっきからずっと、俺の手を見てた」
泉は小さく息を詰めた。
柳瀬の手――ハンドルを握る指の動き。
細かく、正確で、触れられたときの感触を思い出す。
「考えすぎてる。……お前は触れられると、全部そこに持っていかれる」
「……そんなこと」
「ある。今日の首筋も、鎖骨も。わかりやすかった」
柳瀬は車を止めると、後ろを振り向いた。
狭い車内で、その距離は危険なほど近い。
「降りろ」
一言だけ。
車はまだマンション前にも着いていない。
泉が戸惑うと、柳瀬はドアを開けて先に出た。
「今、見ておきたい」
その声が低くて、逆らえない。
泉もドアを開け、冷えた夜気に包まれながら外へ出た。
車の影――街灯の死角。
人通りはなく、暗い。
柳瀬は躊躇もなく泉の手首を取った。
強くはない。だが逃げる選択肢をはじめから奪う持ち方。
「……泉」
名前を呼ぶ声音が違っていた。
指導でも叱責でもない、もっと個人的な気配。
泉は喉が熱くなるのを感じた。
柳瀬の指先が、コートの襟を軽くつまむ。
そして、襟を開くようにして、首元へ手を滑らせた。
「ここ。……さっきの続きだ」
触れられた瞬間、泉の体がわずかに跳ねた。
柳瀬はその反応を面白がるでもなく、ただ静かに見ていた。
「逃げるな」
低く言われ、泉は足を踏ん張る。
柳瀬の指はゆっくり、首筋から喉元へ降りていく。
肌に直接触れているわけじゃない。コートとシャツ越し。
なのに、脳が直接反応してしまう。
「……柳瀬さん、ここ外です」
「大声出してない。誰も見てない。……気にするな」
気にするな、なんて無理だ。
でも、止めることもできない。
柳瀬の手が、喉元から胸元へ――
布の上を撫でるように動く。
どこまで触れるつもりなのか分からない。
泉は思わず柳瀬の腕をつかんだ。
「……っ、や、柳瀬さん」
柳瀬は手を止めず、むしろその腕を泉の指ごと掴み、ほどくように優しく外した。
「触るなって言っただろ。……まだ俺の番だ」
その言い方が体の芯を揺らす。
首元をなぞっていた指は、今度は逆に上へ。
顎の下を親指で軽く押し上げる。
「顔、上げろ」
泉は言われるまま目を上げる――
その瞬間、柳瀬の指が頬に触れた。
熱い。怖い。離れられない。
「泉。……お前はほんとにわかりやすい」
柳瀬はささやくように言う。
「触れられるほど、反応が素直になる。
それが仕事にも、全部出る」
「……悪いってことですか」
震える声で問うと、柳瀬は首を横に振った。
「違う。……俺がそれを、欲してる」
泉の体温が一気に上がる。
「揺れてるお前を見てないと、仕事にならない。
今日みたいに、俺を意識してズレるくらいがちょうどいい」
柳瀬の指が、泉の耳の後ろをなぞる。
それは“仕上げ”みたいにゆっくりで、逃げる余裕を奪う。
「……触れられたら、崩れるだろ」
「……っ、崩れてません」
「崩れてる。自覚しろ。……ほら、今も」
泉の肩は明らかに震えていた。
柳瀬はその震えを手で包み込み、もう一歩だけ近づいた。
息が触れ合う距離。
触れられている場所より、距離の方が恐ろしい。
「帰るぞ。……今日はここまで」
柳瀬が手を離した瞬間、泉の膝がわずかに力を失った。
「続きは、撮影前にやる。
……揺れた状態で芝居に入れ」
拒む言葉が出てこない。
泉の喉は乾き、呼吸は乱れ、ただ頷くしかなかった。
柳瀬は車に戻りながら、振り返りもせずに言う。
「来い、泉。……まだ終わらせる気はない」
泉の体は勝手に動いた。
触れられた場所が、全部、まだ熱い。
――柳瀬の“続き”が怖い。
でも、それ以上に、望んでしまっている。