テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
撮影後の車内は、夜の街灯だけが窓を流れていた。泉は後部座席に座り、ずっと落ち着かない。
今日の芝居は、なんとか最後のカットで取り戻した。だが、その裏で柳瀬の“触れ方”は、明らかに変わりつつある。
運転席に座る柳瀬が、バックミラー越しに言った。
「……視線が落ちてる」
「見てません」
「嘘だな。さっきからずっと、俺の手を見てた」
泉は小さく息を詰めた。
柳瀬の手――ハンドルを握る指の動き。
細かく、正確で、触れられたときの感触を思い出す。
「考えすぎてる。……お前は触れられると、全部そこに持っていかれる」
「……そんなこと」
「ある。今日の首筋も、鎖骨も。わかりやすかった」
柳瀬は車を止めると、後ろを振り向いた。
狭い車内で、その距離は危険なほど近い。
「降りろ」
一言だけ。
車はまだマンション前にも着いていない。
泉が戸惑うと、柳瀬はドアを開けて先に出た。
「今、見ておきたい」
その声が低くて、逆らえない。
泉もドアを開け、冷えた夜気に包まれながら外へ出た。
車の影――街灯の死角。
人通りはなく、暗い。
柳瀬は躊躇もなく泉の手首を取った。
強くはない。だが逃げる選択肢をはじめから奪う持ち方。
「……泉」
名前を呼ぶ声音が違っていた。
指導でも叱責でもない、もっと個人的な気配。
泉は喉が熱くなるのを感じた。
柳瀬の指先が、コートの襟を軽くつまむ。
そして、襟を開くようにして、首元へ手を滑らせた。
「ここ。……さっきの続きだ」
触れられた瞬間、泉の体がわずかに跳ねた。
柳瀬はその反応を面白がるでもなく、ただ静かに見ていた。
「逃げるな」
低く言われ、泉は足を踏ん張る。
柳瀬の指はゆっくり、首筋から喉元へ降りていく。
肌に直接触れているわけじゃない。コートとシャツ越し。
なのに、脳が直接反応してしまう。
「……柳瀬さん、ここ外です」
「大声出してない。誰も見てない。……気にするな」
気にするな、なんて無理だ。
でも、止めることもできない。
柳瀬の手が、喉元から胸元へ――
布の上を撫でるように動く。
どこまで触れるつもりなのか分からない。
泉は思わず柳瀬の腕をつかんだ。
「……っ、や、柳瀬さん」
柳瀬は手を止めず、むしろその腕を泉の指ごと掴み、ほどくように優しく外した。
「触るなって言っただろ。……まだ俺の番だ」
その言い方が体の芯を揺らす。
首元をなぞっていた指は、今度は逆に上へ。
顎の下を親指で軽く押し上げる。
「顔、上げろ」
泉は言われるまま目を上げる――
その瞬間、柳瀬の指が頬に触れた。
熱い。怖い。離れられない。
「泉。……お前はほんとにわかりやすい」
柳瀬はささやくように言う。
「触れられるほど、反応が素直になる。
29,237
蒼月
694
それが仕事にも、全部出る」
「……悪いってことですか」
震える声で問うと、柳瀬は首を横に振った。
「違う。……俺がそれを、欲してる」
泉の体温が一気に上がる。
「揺れてるお前を見てないと、仕事にならない。
今日みたいに、俺を意識してズレるくらいがちょうどいい」
柳瀬の指が、泉の耳の後ろをなぞる。
それは“仕上げ”みたいにゆっくりで、逃げる余裕を奪う。
「……触れられたら、崩れるだろ」
「……っ、崩れてません」
「崩れてる。自覚しろ。……ほら、今も」
泉の肩は明らかに震えていた。
柳瀬はその震えを手で包み込み、もう一歩だけ近づいた。
息が触れ合う距離。
触れられている場所より、距離の方が恐ろしい。
「帰るぞ。……今日はここまで」
柳瀬が手を離した瞬間、泉の膝がわずかに力を失った。
「続きは、撮影前にやる。
……揺れた状態で芝居に入れ」
拒む言葉が出てこない。
泉の喉は乾き、呼吸は乱れ、ただ頷くしかなかった。
柳瀬は車に戻りながら、振り返りもせずに言う。
「来い、泉。……まだ終わらせる気はない」
泉の体は勝手に動いた。
触れられた場所が、全部、まだ熱い。
――柳瀬の“続き”が怖い。
でも、それ以上に、望んでしまっている。