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――裏切られた。
頭の中で、その言葉が何度も反響していた。
「親に殴られてる」
遥の震える声が耳から離れない。
(なんで……なんで言ったんだよ……)
背中を押さえつけられたまま、日下部は必死に暴れた。けれど周囲の笑い声は止まらない。むしろ、あの一言を餌に、輪が膨らんでいく。
「家でボコられてんだってな、日下部」
「なぁ、親の拳ってどんな感じだ? 俺らが再現してやろうか」
「親友に売られるとかウケるわ」
耳に突き刺さる声。
胃の奥が焼けるように熱くなる。羞恥と屈辱と、信じた相手に背中を刺された痛み。
――遥は俺を守るために頭を下げていた。
それを何度も見てきた。
だから信じていた。
「俺が何でもするから、日下部には触れるな」
そう言ってきた遥を。
(それなのに……俺の秘密を……)
心臓がばくばくと暴れ、頭が熱で割れそうになる。
呼吸が荒い。
目の前の遥は、机に額を押しつけて震えている。声にならない嗚咽を漏らしながら、土下座のように体を折り曲げて。
(あいつは……俺を売りたかったわけじゃない……)
分かっている。見れば分かる。あの必死な姿勢が、守ろうとしていた証拠だ。
けれど。
「ごめん……日下部……」
その言葉だけが、刃のように刺さる。
謝るくらいなら――最初から言うな。
「ごめん」じゃ済まないだろ。
(俺を守りたかった? 笑わせるな……あれじゃ俺を笑い者にしただけじゃないか)
胸の奥に、黒い泥が溜まっていく。
怒り。恥。憎しみ。
そして――消せない疑念。
(本当に“守るため”だったのか?)
(それとも……俺を犠牲にして、自分だけ生き延びようとしたのか?)
考えまいとすればするほど、笑い声がその疑念を煽る。
「親友に秘密ばらされて恥ずかしくね?」
「なぁ日下部、裏切られた気分どうだ?」
「やっぱり“友情”って嘘だな!」
――やめろ。
心の奥で叫ぶ。
だが同時に、その言葉が真実のように響いてしまう。
遥のせいじゃない。
わかっている。
教師に脅され、加害者に追い詰められて、無理やり喋らされたのだ。
だが、理解と感情は別物だった。
(……もしアイツが俺を守るために本気だったなら、沈黙を貫いたはずだ)
(沈黙のまま、俺と一緒に地獄に落ちるべきだった……)
――なのに、アイツは俺を売った。
拳を握りしめる。爪が掌に食い込んで血の匂いがした。
心の中に浮かぶのは、遥を叩き潰したい衝動だった。
「ふざけんな……!」
唇の奥で呟いた言葉は、誰にも届かない。
遥は震えている。声を殺して泣いている。
その姿を見てなお、胸の奥の怒りは消えなかった。
(あいつは“裏切った”。それだけは事実だ)
たとえ守るためだったとしても、結果は同じ。
俺は晒され、踏みにじられ、笑い者にされた。
そして、もう――元の関係には戻れない。
遥の方を見ようとした。
けれど視線が合った瞬間、全てをぶち壊したくなる気がして、慌てて目を逸らした。
笑い声がまだ響いている。
(俺は……もう信じられない……)
日下部の胸の奥に、静かで重たい絶望が沈んでいった。