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撮影が終わったスタジオには、照明の熱だけが残っていた。スタッフが順に引き上げ、最後に残ったのは、モニターの前に立つ柳瀬と、その横でタオルを首にかけた泉だけだった。
ディスプレイには、今日のカットが高速で流れていく。
泉はいつも通りのはずだった。ポージングも、表情の作り方も、どこか“習慣”に落ち着いてきた時期だ。
なのに、となりに立つ柳瀬の呼吸が、妙に近い。
声をかけられる前から、喉の奥がくすぐられるような感覚があった。
「ここ。……今日いちばんいい顔してる」
柳瀬の指が、画面の一点を示した。
モニターに映る自分は、微かに笑っている。けれど自覚はほとんどない。
「……これ、そんなにいいですか?」
「本人が気づいてないところが、余計にいい」
言われるだけで、頬の内側がじわりと熱を帯びる。
仕事の褒め言葉とは違う。もっと個人的な、どこをどう触れられたのか分からない種類の刺激だった。
泉は画面から目を逸らすように俯く。
その瞬間、柳瀬がわずかに身を寄せた。
「泉」
呼ばれただけで、背中の筋肉が一瞬固まる。
声が近い。耳のすぐ横で落ちた。
「はい……?」
「お前がさっきした表情。どうして出た?」
「ど、どうしてって……」
答えようとした言葉が、喉で絡まる。
“理由”なんて、説明できるはずがなかった。
柳瀬の視線を意識すると、呼吸が浅くなる。触れられていないのに、触れられたみたいに。
気づけば泉は口を開いていた。
「……あなたに、見られたいと思ったから、だと思います」
――言った瞬間、空気が変わった。
スタジオの温度がひとつ下がったような、逆に熱が集中したような。
柳瀬がゆっくりと顔を上げ、泉を見る。
ただ見ているだけなのに、肌がじりじりと焼ける。
「それは仕事か?」
低い声だった。
言葉だけなら冷静なのに、距離だけが異常に近い。
「……っ」
「それとも」
柳瀬は、一歩分だけ体を寄せた。
肩に触れていないのに、影だけが重なる。
「俺、か?」
耳の裏が一気に熱くなる。
答えられるはずがなかった。
否定すれば嘘になる。肯定すれば、もう後戻りできない。
泉は視線を逸らした。
けれどすぐに、柳瀬の指が——触れていないのに、触れたように感じる位置に落ちる。
「言わなくていい」
「……」
「反応すれば分かる」
――反応。
その一言で、喉の奥が微かに鳴った。
自分でも抑えられない、弱い音。
柳瀬の目がその揺れを捉え、静かに細められる。
「……そういうことだ」
柳瀬は満足したように視線を戻し、モニターを閉じた。
何も触れられていないはずなのに、泉の身体はずっと、熱を持ち続けていた。
スタジオを出る扉に向かう柳瀬の背中は、普段通りに見えるのに──
ほんの少しだけ、歩幅がゆっくりだった。
泉は、その背中を追いながら気づく。
“見られたい”と言ったのは、仕事じゃない。
けれどそれを認めるには、あまりに近すぎる距離だった。