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朝からスマホが震え続けていた。起きてすぐに確認したら、画面は真っ赤に染まっている。通知が百を越えていた。グループチャット、メッセージ、リプライ。全部同じ写真と短い文が繰り返されていた。
〈#あの顔で草〉
〈見ろこれwww〉
〈やべー、拡散しとけ〉
写真は、教室で俺が俯いてるところを誰かが撮ったものだった。目元が腫れて、顔に微かな痕が残っている。口元は引きつり、笑っているように見える――でも、笑いなんかじゃない。ただの歪みだ。写真の上に貼られたコメントは容赦がなく、言葉は刃物のように刺さる。
「晒しあげ最高w」ってリプ。
「家畜」「消えろ」「クズ」の文字がスクロールしていく。匿名アカウントが次々にコピーを貼って、別の角度から撮った動画まで流れてきた。動画には、俺に向けられた嘲笑、囃し立てる声、教室のざわめきがそのまま入っている。録画ランプの赤い点が小さく点滅していた。
母の顔も思い浮かべた。家に戻ればまたあの空気だ。だから外に出るしかないという、どうしようもない判断。だが外へ出た瞬間、世界はもっと窮屈になっていた。
コンビニの前を通りかかったとき、誰かが後ろから小声で言ったのが聞こえた。
「見ろよ、あいつだよ」
次の瞬間、携帯を構える影がいくつも動いて、レンズがこちらに向けられた。画面の向こうで笑い合う声。俺は足を速める。だが、足取りは重く、胸の鼓動が耳まで届く。
「てめぇ、コンビニで買い物とか図々しいんだよ」
青白い光の下で男が近づいてきて、トングでつまんだチキンを俺の顔の前にかざした。
「食えるか? お前が食ったら面白いだろ」
別の女の子がスマホを高く掲げ、動画を撮る。見知らぬ手が俺の腕を掴み、強く引っ張った。周りの人間の顔は笑っていた。誰も止めない。止めるどころか、拍手するように嘲り声を上げる。
「お前、ほんと要らねえんだよ。さっさとどっか行け」
「そうだ、ここでぶちまけてやればスッキリすんだよ」
言葉の一つ一つが、俺の骨の中まで冷たく届く。携帯の画面には、さっきの教室の写真が拡大され、コメントが次々追記されていく。匿名のアカウントが「今ここ」と位置情報をつけると、そこにいた人間の数は一気に増えた。
店の奥から店長が出てきて、状況を見て一瞬戸惑った様子を見せたが、客の大声に押されるように何も言わない。俺の身体は反射的に逃げ場を探す。ドアの外、薄暗い路地へ向かって走った。足音が背後で弾け、スマホのシャッター音が続く。
次の日、駅の改札を抜けると、画面の通知が止まらなかった。知らない番号、無記名のメッセージ。
「見たぞ」
「今日も来るな」
「学校の外で会ったら笑わせてやる」
「住所わかった」
「家の周りで待ってる」
直接的な脅しまで混ざる。匿名の書き込みは、過去の写真や、ありもしない噂を証拠めかして貼り付ける。ひとつの流言が、簡単に信用されて、広がっていく。
「お前のこと、みんなが嫌ってんだよ」
──その文言を何度も見た。クラスメイトの中にも、俺を避けるふりをしてすれ違いざまに小さく侮蔑を吐き捨てる奴がいる。教師の顔は知らんぷりを続ける。校門前で立っているだけで、誰かがわざとぶつかってきて、荷物が床に散らばる。周囲の哄笑。誰かがまたスマホを向ける。
放課後、帰り道を変えてみても意味はなかった。角を曲がったら、見知らぬ自転車が二台、ふらりと止まって、ニヤニヤしている。俺を見ると、わざとらしく指をさして笑う。足がすくむ。声を出さずに頭を下げて通り過ぎようとしたそのとき、背後から声が飛んだ。
「今日は何して遊ぶ?」
「近くの公園でいいんじゃね? 面白いもの見つけたし」
「お前、一人で来いよ。記念撮影しよぜ」
俺は走った。公園のベンチの影に潜りこんで、胸を押さえる。携帯を握る手は震えている。通知の数は一向に減らない。友達らしい連絡も、安否確認も、ただの一件もない。届くのは匿名の罵倒と、晒しのリンクだけだった。
翌日には、俺の通学路そばの掲示板に、誰かが印刷して貼った小さな紙があった。写真と一行の文。
「気をつけろ、遥は危険」
紙にペンで落書きをされ、通行人がそれを見て眉を顰める。街の中で、俺の存在はもう“話題”になっている。笑いものになっている。
母に電話しようとしたけど、声が出なかった。どう説明すればいいのか。家に帰ればまた別の地獄が待っている。ポケットの中で携帯が震えるたびに、世界中から群がる目が押し寄せる感覚が胸を潰す。匿名は、距離を利用して冷酷さを増幅する。画面の向こうの顔は見えないが、その言葉の威力は生身に刺さる。
「お前ら、そんなに楽しいのか?」
と自分で問うてみる。返事はない。ただ、通知が鳴り続け、コメントが増え、誰かがまた俺を検索して楽しんでいる。外で会えば石でも投げられるかもしれないという恐怖を抱えたまま、俺はゆっくりと家へと向かった。胸の奥では、いつ消えてもいいと思う声が、しょっちゅう囁く。だが、消えることすら簡単には許されない。誰かのスクリーンの中で、自分はまだ見世物なのだ。