「実は母と姉は…….」
「ん?」
「本当の家族ではないので…….」
「え?」
「父が再婚してできた家族なので……」
「なるほど、そういうことか! つまり君とは血の繋がりがないんだね?」
「はい…….」
「で、お父さんは、単身赴任で家にいないんだもんなぁ」
「はい…….」
「でもさ、受験しちゃダメって、お母さんが指図するのもおかしいよね?」
「はい。でも、もし私が受かってその大学に通うことになったら、姉の機嫌が悪くなるから諦めて欲しいって…….」
栞の話を聞き、直也は驚いた。
「機嫌が悪くなったとしても、それは仕方ないよね。受験は実力主義なんだから」
「私もそう思ったんですけど、もし私が慶尚大学に受かったら、ずっと根に持たれて一生ぎくしゃくすることになると思うんです。そうなったら父が可哀想だし、だったら私が我慢するしかないのかなぁって……」
気弱に語る栞を見ながら、直也は思った。
彼女はこうやって、今までさまざまなことを我慢してきたのだろう。
本来なら、姉の方が妹の幸せを願い、気配りをするのが普通ではないか?
年上の姉の方が、そうした配慮もできて当然だ。
しかし、この家庭の『姉』は普通とは違うらしい。
『姉』だけがおかしいのではなく、義理の『母親』の方も、かなりおかしい。
常に実子である長女のことを優先し、ご機嫌取りまでしているのだから。
普通だったら、再婚相手の連れ子に対して、もっと気を遣うのではないだろうか?
ありのままを受け入れてもらえない子供は、親の顔色をうかがうようになり、自分の意見を言えないまま相手に迎合するようになる。
相手の反応に一喜一憂し、それが自分に対する評価だと勘違いし、常に気を遣いながら疲弊した人生を送る。
自分の価値は相手の評価で決まるので、自分軸を持たないまま育ってしまう。その結果、自分に自信が持てない。
そういう子は、いじめの標的になりやすいのだ。
直也は、今までそうした子どもたちを数多く診てきた。
目の前にいる栞は、礼儀正しく聡明で、どこへ出しても恥ずかしくない高校生なのに、かなり自己評価が低そうだ。
直也はしばらくじっと考えたあと、こう言った。
「栞ちゃんの本当のお母さんは、今どこにいるのかな?」
「亡くなりました。私が8歳の時に」
「そっか……それは寂しかったね。8歳だったら、まだまだお母さんに甘えたい年頃だもんなぁ…」
直也の言葉を聞いて、栞はぽろぽろと涙を流し始めた。そんな風に誰かに言われたのは初めてだった。
栞は次々こぼれ落ちてくる涙を、必死に手のひらで受けとめる。それを見た直也は、栞の膝の上にそっとティッシュの箱を置いた。
「すみません……」
栞は、消え入りそうな声で言うと、ティッシュで涙を拭い始めた。
栞が涙を拭いている間、直也は彼女のことを観察した。
背が高くスレンダーな体型、大きな瞳、くっきりとした目鼻立ち……彼女はとても美しかった。
肩よりも長いストレートの髪は、サラサラと艶やかで思わず触れたくなる。
栞のもの静かな雰囲気は、歳よりも彼女を大人っぽく見せていた。
男子学生に告白されたというのも納得できる。あと数年もすれば、彼女はかなり人目を惹く美人になるだろう。
進学校に通うほど聡明で、礼儀もきちんとしている。
大人との会話でも、しっかりと受け答えができる。
今どきの高校生にしては、かなりハイスペックだ。
しかし、表情の端々には、自信のなさや孤独の影が見え隠れしていた。
それは、彼女の意志がまったく尊重されない家庭環境にあるのかもしれない。
義理の家族といざこざを起こせば、父親が悲しむ。それだけは避けたかった栞は、いつも自分を押し殺し、家族に迎合して生きてきたのではないか?
だから、進学先を変えろと言われれば、理不尽でも従ってしまうのだ。
しかし、その行動は、本来の自分の意志とは大きくずれているので、身体に変調をきたし、『過換気症候群』という発作となって表れたのだ。
栞が少し落ち着いたところで、直也が言った。
「でね、さっき起きた症状は、『過換気症候群』という発作なんだ。この発作は、強いストレスを抱えていたり、忙しすぎて心と身体に余裕がなくなると、発症することがあるんだ」
栞はじっと直也の言葉を聞いたあと、こう質問した。
「それって、治りますか?」
「それは人それぞれだね。一回だけで収まる人もいれば、続く人もいる。ただ、繰り返し発症する人は、もともとパニック障害や鬱病などの病歴を持っている人が多いから、たぶん君は一過性のものだと思う」
直也の説明を聞いた栞は、少しホッとした表情を浮かべた。
「ただ、この症状が、またいつか起きるんじゃないかってドキドキするのは嫌だよね?」
「はい…….それが一番不安です」
「そういう人のために、うちでは薬を処方することもあるんだ。心を落ち着ける作用がある安定剤で、一番軽いのものをね。不安な人には、それをお守り代わりに持っていてもらう場合もあるけど、どうしようかなぁ……」
直也はどうしたものかと考える。
そこで、栞が言った。
「欲しいです! 持っているだけで安心できそうですから」
「うん、ただね、薬を処方する場合、君はまだ学生だから、ご両親どちらかの了解がいるんだ。今、お父さんに連絡ってつくかな?」
栞は壁にかかっている時計を見た。時刻は午後六時半を過ぎていた。
「多分大丈夫だと思います」
「じゃあさ、君がお父さんに電話をかけて途中で代わってもいいかな? 僕がいきなりかけると、知らない番号だから出てもらえないかもしれないし」
「わかりました」
栞はすぐに鞄から携帯を取り出そうとした。
その時、直也が慌てて言った。
「おっと、その前にひとつ確認してもいい? お母さんに言われた志望校のことや友達とのことを、お父さんに話しても大丈夫かな?」
栞は一瞬戸惑いの表情を浮かべた。
父に心配をかけたくなかったので、なるべくなら知らせたくない。
栞が答えに戸惑っていると、再び直也が言った。
「お父さんには、今日君がここで倒れた経緯を説明しなくちゃなんだ。それには、ストレスの原因が何であるかも伝えた方がいい。それを伝えないままだと、かえって遠くにいるお父さんが心配しちゃうからね。このことは、お母さんやお姉さんには内緒にしてもらうよう、僕からもきちんと伝えるから、その点は安心して」
(この人は信用しても大丈夫かもしれない……)
直也の真剣な眼差しを見た栞は、直感でそう感じた。
「わかりました。でも、母と姉には絶対に内緒って念を押してもらえますか? そうじゃないと、私、家での居場所がなくなっちゃう……」
今にも泣きそうな栞の声を聞き、直也の胸がズキンと痛んだ。
そして、あらためて彼女には心から安らげる場所がないのだということを悟った。
「大丈夫だよ。お父さんにはきちんと伝えるから。じゃ、電話してもらってもいい?」
「はい」
栞は携帯を取り出すと、父親に電話をかけた。
コメント
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直也さんの方が両親より暖かいだなんて😢 再婚同士なら子供達は愛情持って分け隔てなく育てて欲しいよ。こんなに追い詰められたって父は理解してる? 直也さんから伝えられて反省して心入れ替えて欲しいよ。 栞ちゃんにとって直也さんさ信頼できる大人だね(っ´ω`c)
自分の家なのに出来損ないの義母と義姉のせいで居場所も無く心の支えとなる父も単身赴任の中でやっと直也先生が止まり木になってくれそうで良かったね、栞ちゃん
はい!義理の母「毒親」決定‼️‼️‼️‼️‼️ お父さんも単身赴任中に栞ちゃんがそんなに苦しんでるなんて思ってないよね~😰 ニッコリ笑顔がチャーミングな直也先生、救ってあげてね🙏⤴️⤴️ なんて、段々思い出してきた🤭✨