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その日、久我は取り調べ室に入る前から、違和感を抱いていた。
廊下が静かすぎる。
人の気配が、意図的に消されている。
――決まったな。
直感が、そう告げていた。
黒瀬は、すでに座っていた。
いつもより背筋が伸びている。
「今日は、随分早いですね」
「ああ」
久我は、椅子に腰を下ろし、ファイルを置いた。
「新しい情報が出た」
黒瀬の表情が、わずかに動く。
期待ではない。
確認だ。
「被害者の通話履歴」
久我は、淡々と続ける。
「事件当日、君と会う前に、別の人物と接触している」
「……」
「防犯カメラも、一部復元された」
久我は、視線を上げた。
「君じゃない」
黒瀬は、すぐには反応しなかった。
数秒。
呼吸一つ分の沈黙。
それから、静かに言った。
「そうですか」
安堵ではない。
驚きでもない。
最初から知っていた者の反応だった。
「……君は、 最初から分かっていたな」
「可能性としては」
黒瀬は、曖昧に答える。
「確信は?」
「持たないようにしていました」
久我は、眉をひそめた。
「なぜだ」
「確信すると、人は動いてしまう」
黒瀬は、視線を落とす。
「あなたを、動かしたくなかった」
久我の胸が、嫌な音を立てる。
「……私は、捜査官だ」
「ええ」
黒瀬は、頷いた。
「だからこそ、真実を渡すかどうか、選べる立場にいる」
久我は、机に手をついた。
「真犯人は、君にとって、どんな存在だ」
「過去です」
黒瀬は即答した。
「切り離せない、でも、引きずる必要もない」
「……それを、なぜ黙っていた」
「黙っていた方が、あなたが自由だからです」
久我は、笑いそうになった。
「自由?」
「ええ」
黒瀬は、久我を見据える。
「真実を知っていれば、あなたは、“守らなければならない側”に回る」
「……」
「知らなければ、あなたは、ただ判断する人間でいられる」
久我は、言葉を失った。
――この男は、
自分のためではなく、
自分を裁く人間の立場を守ろうとしている。
「……君は、自分が有罪になる可能性を分かっているのか」
「はい」
「それでも?」
「それでもです」
黒瀬は、微笑まなかった。
「あなたが、“同類”になるよりは、ずっといい」
久我の喉が、詰まる。
「……同類とは、何だ」
「真実を知りながら、歪める人間」
黒瀬は、淡々と告げる。
「あなたは、そうなる必要はない」
「そのために、君が罪を背負う?」
「“背負う”のではありません」
黒瀬は、静かに言った。
「選んでいるだけです」
久我は、深く息を吸った。
「……上は、君を犯人にする」
「知っています」
「私は、それを止められる」
「ええ」
黒瀬は、ゆっくりと頷く。
「でも、止めた瞬間、あなたは、戻れなくなる」
久我は、拳を握りしめた。
「……君は、残酷だ」
「はい」
黒瀬は、はっきりと答えた。
「でも、優しさのつもりです」
沈黙が、二人の間に落ちる。
真実は、もうそこにある。
隠されてはいない。
歪められてもいない。
ただ、
使われていないだけだ。
久我は、目を閉じた。
「……今日は、終わりにしよう」
「はい」
黒瀬は立ち上がる。
連れて行かれる直前、振り返って言った。
「久我さん」
「何だ」
「真実は、あなたを救いません」
黒瀬は、低く続けた。
「でも、あなたを壊すのは、真実を捨てたときです」
ドアが閉まる。
久我は、一人になり、ファイルを見下ろした。
――真犯人は、別にいる。
その事実よりも、
それをどう扱うかを、
自分が選べてしまうことが、
何より重かった。
真実は、救済ではない。
それはただ、選択を逃がしてくれないだけだ。