「おーい、ペア! 昨日の続きいこうぜ」
黒板の「ペア」の二文字はまだ消されていない。白い粉が残って、そこだけが異様に浮かんでいる。
俺と日下部は前に呼び出され、机の列の中央に立たされた。笑い声が最初から響いている。
「二人で声そろえろよ。“俺たちはクラスの奴隷です”って」
「……っ」
胸の奥が凍りつく。けれど隣からも沈黙しか返ってこない。
無表情で前を見ている日下部。その頬に、僅かに噛みしめた歯の筋が浮かんでいた。
(言えば守れる。黙れば狙われる)
答えは分かっている。けど、口が開かない。
「チッ、やる気ねぇな。じゃあ再現だ。ほら、机並べて床に座らせろ」
腕を掴まれ、強引に押し下ろされる。床に膝をつく音が重なった。
同じ姿勢を取らされるたび、「ペア」という言葉が杭みたいに突き刺さる。
「“口でやった”とか言ってたよな? じゃあ今度は二人で再現な」
「どっちが上手いか比べようぜ」
爆笑。スマホを掲げる光。
背筋に氷が這い上がる。
(……やめろ。やめてくれ。俺じゃなくて……日下部を巻き込むな)
横を見ると、日下部が小さく首を振っていた。声は出さない。ただ、強く拳を握り、膝を震わせている。
――拒否ではない。耐えようとしている姿だった。
「なぁ早くやれよ。俺らの前で“見せろ”って言ってんだ」
「土下座みたいに頭下げて、隣の奴に合図すりゃいいだろ」
声が鋭く刺さる。
喉が焼けるように乾く。頭を垂れるしかない。
「おー、ほらほら、それっぽくなってきた!」
「やっぱコイツら最高だわ!」
爆笑の渦が広がる。
その中で、俺はただ床に額を近づけ、視界を暗くした。
(間違えた。また、間違えた)
(守るつもりで動いて、結局、傷つけたのは日下部だ)
笑い声が波のように押し寄せる。
誰かが机を叩き、誰かがスマホを振り、誰かが「次はもっとはっきり」と叫んだ。
隣から聞こえる小さな息遣いに、胸が締めつけられる。
日下部は黙っている。俺を睨むでもなく、庇うでもなく、ただ黙って。
(もう俺には、あいつを守る権利なんてないんだ)
笑い声の中で、そんな思いだけが、心臓を抉り続けていた。
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