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説明会の翌夜、守森神社の本殿裏には、夏の終わりに近い風が吹いていた。
昼の熱をまだ少し残した石が、夜になると静かに冷えていく。境内の賑わいは表側に遠く、こちらは山の匂いが近い。暗い木々のあいだから虫の声が細く続き、時々、杉の梢が揺れる音がした。
集まったのは十人だった。
ハヤ、ノイシュタット、オブラス、ジョンナ、マクスミリン、ハルミネ、エルドウィン、エフチキア、ドゥシャン、アンネロス。
花屋の裏口で顔を合わせていた面々が、今夜はいつもと違う空気で並んでいる。作業の相談ではない。もう少し先まで行くと決めるために来ていた。
ドゥシャンが神社から借りてきた小さな行灯を置くと、光がそれぞれの足元を丸く照らした。
「こういうの、誓いっぽいだろ」
「雰囲気に頼るな」
マクスミリンが言うが、行灯の火を消せとは言わない。
ジョンナが保管庫から複写した祭りの古い台本を胸に抱え、オブラスは簡単な試算を書いた紙を持っていた。ハルミネの腕には布見本、エフチキアの手には一輪包みの試作、アンネロスはなぜか焼き菓子の缶を抱えている。エルドウィンはロープと軍手を持ったままだった。帰りに別の仕事があるらしい。
ノイシュタットが珍しく大袈裟ではない声で言った。
「保管庫の前で小さく始める。花屋を入口にして、朝風通りへ人を流す。まずは試す。失敗したら直す」
「笑われるだろうね」
アンネロスが肩をすくめる。
「ええ、大いに」
「じゃあ、お菓子は多めに焼いとく」
その軽さに、皆が少し笑った。
オブラスが紙を見ながら続ける。
「採算はまだ薄い。だから、誰か一人の店だけで背負わない形にする。回遊が起きれば、花屋以外にも利がある。そこを丁寧に積み上げる」
「図書室の資料も出します」
ジョンナが言う。
「祭りが何だったか、今の町にどうつながるか、きちんと見せたい」
「衣装と布の見え方は任せて」
ハルミネが真面目な顔で頷く。
「野暮ったく見えたら、入り口で負けるから」
エフチキアが一輪包みを胸へ寄せた。
「お客さんが最初に買いやすいもの、私ももっと考えます」
「俺は人を呼ぶ」
ドゥシャンが元気よく言う。
「ただし喋りすぎるな」
マクスミリンが即座に刺す。
「努力する」
「信用は半分だな」
エルドウィンがぼそりと言い、また笑いが起きた。
笑いが落ち着いたあと、自然に視線がハヤへ集まった。
行灯の火が揺れている。境内の向こうから、祭りの名残みたいな笑い声がかすかに聞こえる。その中で、ハヤは自分の手を見る。無地のエプロンではない、ふつうの服の胸元を、なぜか確かめた。
前に立つことは、まだ怖い。
名前を呼ばれることも、店のことを語ることも、怖いままだ。
それでも、役場の会議室で感じた息苦しさを思い出すと、黙ったまま流されるほうがもっと嫌だと分かる。
「……前に出る約束はしません」
口にすると、夜気が少し冷たく感じた。
誰も急かさない。
ハヤは息を継いだ。
「でも、逃げないです。花屋のことからも、祭りのことからも」
短い言葉だった。立派でもない。格好もつかない。
けれど、それが今の自分に言えるぎりぎりの本音だった。
しばらくして、ノイシュタットがふっと笑った。
「それでも十分、立派な誓いだ」
からかいのない声だったので、ハヤはかえって戸惑う。
アンネロスが缶の蓋を開ける。
「じゃあ、誓った人から食べな」
「順番おかしくない?」
エフチキアが笑い、ドゥシャンが真っ先に手を伸ばして叩かれる。
行灯の小さな光の中で、十人の影が石の上へ重なった。
大きな成功の気配なんて、まだどこにもない。あるのは、赤字の花屋と、閉ざされていた保管庫と、気の早い再起案と、それに付き合う人たちだけだ。
それでもハヤは、神社の木立の向こうを見た。
扉はもう開いてしまった。
ならば次は、自分たちの足で進むしかない。
その夜、守森神社の風は、逃げ道ではなく背中のほうから吹いていた。
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