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石倉はアスファルトに塗られた赤い太線を見つめた。
その線は綿貫梨沙の家から3kmの地点を示している。
一歩でも線を越えれば胎児に八つ裂きにされる。
まさに死線だ。
石倉のところに猿渡が近づいてきた。
「石倉警部。心拍110。胎児が眠りに入りました」
「よし、行こう」
石倉は車の後部座席に乗り込んだ。
車は死線を越えて梨沙の家に向かって猛スピードで走り出した。
一刻の猶予もない。
胎児が起きれば一瞬で全員が殺される。
胎児は自分の邪魔をしようとする人間を決して見逃したりはしない。
車には石倉の他に4名の人間がいた。
運転するのは警視庁での石倉の部下の猿渡。
優秀で度胸もある刑事だ。
猿渡は何の迷いもなくこんな危険な任務に参加してくれた。感謝しかない。
石倉の左に座る2名は医師だ。
綿貫梨沙と胎児の医療的バックアップを担う。
石倉は助手席に座る田所英二に視線を送る。
田所はブリーフケースを胸に大事そうに抱きしめ前方をじっと見つめている。
ずいぶん眠っていないのだろう。目の下には濃いクマができて血色もずいぶん悪い。
この作戦の成否を担っているのは外ならぬ田所だ。
石倉は労う意味で田所の肩を叩いた。
田所は助手席から小さく振り返ると精いっぱいの笑みを浮かべようとした。
車は住宅街を猛スピードで走り抜けていく。
信号は全て停止している。
この辺りの住民はほぼ避難が完了していて街はゴーストタウンと化している。
だが、決して避難が全て順調にいったわけではない。
逃げる最中に胎児が目覚めて亡くなった人もいる。
胎児は逃げる人々を宙空に軽々と持ち上げ地面に叩きつけた。
何か目的があったわけではなく、ただ面白いからそうした。
動機がない犯人ほど恐ろしいものはないと石倉は経験上知っていた。
「チャンスは一回キリだ。我々の計画は、次に胎児が目覚めた時、綿貫梨沙を通して知られてしまう」
全員無言でうなずく。
これが最初で最後のチャンス。みなわかっていた。
その時、石倉の携帯電話に梨沙からテレビ電話がかかってきた。
梨沙からかけてくるのははじめてだ。
石倉が電話を取ると、脂汗を浮かべた梨沙の顔が映った。
「……石倉さん、もう無理かもしれません、お腹が」
梨沙の声は切迫していた。
「綿貫さん。あと10分ほどこらえてください。今医師とそちらに向かっています」
「早く殺してください、もういいです……」
梨沙は苦痛に顔を歪めて呻いている。
もう出産の時がさし迫っているのかもしれない。
「……聞いてください。あなたを助ける方法が見つかったんです。お腹の胎児だけを殺す薬を研究者が開発しました。だから、もう少しだけ辛抱してください」
すると、梨沙のうめき声がピタリとやんだ。
クツクツと笑い声がきこえてくる。
画面上の梨沙の顔にジラジラとノイズがかかったかと思うと、丸山の顔に変わった。
「……何か企みがあると思ったら、そういうことか」
痛恨のミスだった。
油断した。あいつはどの端末にも入って何者にもなれる。
綿貫梨沙にまで化けるとは。
これで胎児に確実に計画が伝わってしまう。
次に目覚めれば二度とチャンスはないだろう。
石倉は内心の焦りを隠して冷静に言った。
「綿貫さんはどこだ」
「もう手遅れだ」
そういうと丸山は通話を一方的に切った。
猿渡はバックミラーで石倉の様子をうかがうと何の指示もなくさらにスピードを上げた。
数分後、石倉達は梨沙の家の前に到着した。
慎重に玄関から入る。
……何かがおかしい。石倉は思った。
さっき訪れた時と家の空気が違う。
「綿貫さん!」
呼びかけるが梨沙の返事はない。
二階に駆けあがる。
石倉は言葉を失った。
部屋の前に家具が山のように積まれバリケードができていた。
ドアは全く見えない。
奴らは母体である梨沙を閉じ込めて近寄らせないつもりだ。
もう出産の時が迫っているのは間違いない。